『アンチ・フリーズ』(2021年)、『ミメーシス』(2022年)のフルアルバム2作品に続いて、日食なつこが完成させた6thミニアルバム『はなよど』。「花」と「澱」を併せ持つタイトルの通り、希望と出会いの代名詞的な季節=春を「希望に取り残される別れの季節」と捉える独自の(そしてリアルな)視点と皮膚感覚が、多彩なアレンジと相俟って伸びやかなサウンドの形で咲き乱れている。
当初からピアノと歌の弾き語りを軸に、決然と世界に向き合うような歌を響かせてきた日食なつこ。コロナ禍以前よりも加速したかの如き積極的なツアースケジュールの中で、彼女は自身の音楽表現の在り方を、至って自然な形で検証し再構築しつつあるようだ。
インタビュー=高橋智樹
種類を変え、形を変え、毎シーズンツアーをやってるみたいな状態に、ようやく「戻った」感覚ではありますね
――昨年のアルバム『ミメーシス』を出してから、「蒐集行脚」〜「令和モダニズム」〜「混線大陸」、そして今回の「蒐集大行脚」とくるわけで。ずっとツアーしてた印象があるんですけども。「そうですね(笑)。なんだかんだで、1年ずっとツアーしてた年でしたね」
――しかも、ツアー1本ごとに目的とコンセプトが明確にあるという。
「『蒐集行脚』(2022年4〜6月)は普通にリリースツアーとして、ピアノ/ドラムといういつもの編成で――とりあえずお客さんに安心してもらうためのツアーとしてやりまして。そのあとの『令和モダニズム』(2022年10〜11月)ツアーは完全なソロ弾き語りの形で、古い洋館を巡っていくツアーで。過去には『遊泳喫茶』っていう、カフェだけを巡っていくツアーとか、お寺だけを巡る『欄干わたり』っていうツアーとか、コンセプチュアルな場所限定で巡るツアーもやっていて、『そろそろそっちも再開していいんじゃないかな』ということで、去年1年間にギュッと詰めた形で。で、年が明けて『混線大陸』(2023年1〜2月)は、『東名阪のクアトロを、誰かと一緒に回る旅をしましょう』とスタッフさんからご提案をいただいて。LA SEÑAS(ラセーニャス)という、今すごく気になってる打楽器チームがいるんですけど、ぶつけるならこのタイミングだ!って(笑)。なかなか普通の対バンっていうことだと、お互いの畑が違いすぎて呼びづらいなっていうことで、今回その人たちとだけ!っていう旅を決めて。いろいろと……いろんな角度からツアーをやった1年でしたね。まあでも、本来こんな感じだったので――本当に種類を変え、形を変え、年間3〜4本ぐらい、毎シーズンツアーをやってるみたいな状態だったので。ようやく『戻った』かな、という感覚ではありますね」
――「蒐集大行脚」ツアーの感触はいかがですか?
「すごく、今後のためになるツアーだと思っておりまして。ギターとベースのおふたりを――メンバーさんは以前と違う方なんですけど、初めましての方をふたり迎えて、久々のバンド編成ということで。私も3年以上、そのサウンドでライブをやっていなかったので。ステージの中音から、外での聴こえ方、見せ方、あと『お客さんにどう投げれば、この4人の音を違和感なく受け取ってくれるだろう?』っていうことをいろいろ考えまして。それを模索しながらステージに乗った結果、お客さんの反応がすごくよくて。ちょうどタイミングよく『声出しOK』になったこともあって、お客さんも『あ、日食なつこのライブでもこういう、声を上げて一緒に歌って、っていうことをやっていいんだ』ってお互い再確認できている感じでした。この反応がよさそうなツアーを、ぜひもう一回やりたいな、と自分の中で早速思っていて……というようなところで、得るところが多かったツアーでした」
「なんでみんな、そんなすんなりと、新しい環境に臆せず流れていけるんだろう?」って毎年思いながら春をやり過ごしてきた
――その「蒐集大行脚」ツアーが終わった直後のタイミングでリリースされるのが、今回のミニアルバム『はなよど』なわけですけども。「春」をモチーフにした作品を作ろうと思ったのは?「もともとは『春をモチーフにしよう』というよりは、『ちょっと軽めのミニアルバムを作りたいな』と思ってまして。というのも、それ以前の2連作のフルアルバム(『アンチ・フリーズ』、『ミメーシス』)が結構ガッツのあるというか、曲的にもやっていること的にも、密度のすごく高い作品だったので。それに続く作品はちょっと軽いほうが、お客さんも食べやすいんじゃないかなって。で、『何をもってして軽いと言うのかな?』って考えた時に、ちょうど今出せそうな曲のストック――正直山ほどあるんですけど――の中で、出したい曲をまとめたら、わりと恋愛ソングと捉えられそうなニュアンスの曲が集まったので。じゃあ、思い切って恋愛ソング集にしちゃおうかな、と思いつつも、それはあまりにもひねりがないなということで。出す時期を考えた時に、春になりそうだと。別れの季節でもあり、出会いの季節でもあり。でも、私個人的には春は、別れとかがあまりうまくいかなかった経験が多いので、ちょっと寂しい、もどかしい季節かな、ということで。それを春というパッケージで出そうかな、というような経緯です」
――季語としては《蝉》(“蜃気楼ガール”)が出てきたり――。
「そうですね。最後の“蜃気楼ガール”は完全に夏になっちゃってます(笑)」
――《芒原》(“幽霊ヶ丘”)が出てきたりする作品ではありますけど、この「春に取り残される感覚」は自分も含め、実はかなり共振する人は多いのではないかと感じました。《春の陽気に耐えられずに散っていく/僕こそ八重の桜かもしれない》(“やえ”)のフレーズも、いわゆる「桜ソング」とは別の形で春のリアルが綴られていて。
「《春の陽気に耐えられず》っていうのは具体的に言うと、いわゆる五月病というものに、私は毎年やられる人間なので。そういうところに引っかかる人は、まさしく春の陽気に耐えられないというか。もっと具体的に言うと、やれ入学式だ、やれ新歓だとかっていう、中学でも高校でも大学でも――まあ大学は一瞬でドロップアウトしたんですけど(笑)――そういうものに毎年、なんかうまく乗れないというか。『なんでみんな、そんなすんなりと、新しい環境に臆せず流れていけるんだろう?』みたいなことを毎年思いながら、春をやり過ごしてきた人間なので。それが《春の陽気に耐えられずに散っていく》側でした、っていうところで書いてるのかな、と思うところはありますね」