“ライオンヘッド”は難しすぎて歌えないし、アレンジどうする?って。17歳の時の私がいったん完成させて、そのまま放置していた曲(笑)
――バンド編成もソロ弾き語り曲もあり、ゲスト参加曲もあり、と音楽的にはかなり自由度の高い、しなやかな作品ですよね。「そうですね。7曲全部アレンジというか取り組みが違うので。これはミニアルバムのサイズ感だからできたことかなって思います。フルアルバムで同じように全曲編成違うってなると、録る側が力尽きてしまうことが予想されるので(笑)。今回は“夕闇絵画”と“蜃気楼ガール”は同じチームで録ってますけど、ニュアンスは全然違ったりして」
――シンガポールのインディーポップバンド・Sobs(ソッブス)をフィーチャーした“ダム底の春”、このハーモニーは新鮮ですよね。
「すっごく新鮮ですね。向こうのボーカルのセリーヌさんが、頑張ってサビの日本語のハモリをやってくれて。日本人の私も歌ってるのが大変なので、『これちょっとダメ元かもしれないけどお願いしてみようか』って阪谷さん(スタッフ)が提案してみたら、もう一発目で、何本も重ねたすごくきれいなハモリのトラックをいただけて。これはSobsも今、音楽的に意欲的に取り組んでいつつ、それを楽しんでるんだな、っていう――フレッシュな、弾けるような音楽の楽しさが、そのままこの“ダム底の春”のアレンジ全部に満ち満ちている感じがありますね」
――Sobsとのコラボはどういう形で実現したんですか?
「アジア圏のアーティストさんと何か一緒にやろう、っていうのは前2作でもやってまして。その流れで、今回も1曲ぐらいやりたいな、と思っていて。その中で個人的に……2年ぐらい前ですかね? 自分のお客さんから教えてもらったバンドの、さらに仲のいい人、みたいな感じで(笑)、Sobsっていうバンドに辿り着いて。セリーヌさんの声もいいですし、『こういう人たちっぽい曲を作りたいな』と思っていたところに、『アジア圏の誰かと一緒に』という話が出たので。声を掛けてもらってもいいですか?ってお願いしたら、なんと実現してしまったという流れですね」
――先ほども話に出たLA SEÑASの参加曲“ライオンヘッド”もいいですよね。
「ありがとうございます。“ライオンヘッド”はすごく古い曲で、『日食なつこ』名義になる前に書いていた曲なんですけど。書いたはいいが、難しすぎて歌えないっていうことで、17歳の時の私がいったん完成させて、そのまま放置していた曲で(笑)。その後も、何度かレコーディングにチャレンジしたんですけど、相変わらず歌えないし、歌えたところでアレンジをどうするか?って全然思いつかなくて。“ライオンヘッド”っていう曲なので、アフリカとかの楽器を想起させるような、パーカッション中心のアレンジがいいな、と思いつつ、じゃあそれ誰に頼む?ってなったら、自分の中に思い当たる人が全然いなくて。で、放置してもう15年ぐらいですかね? それが、去年か一昨年ぐらいにLA SEÑASという人たちを知って、ライブを去年の夏に初めて観た時に、『あ、この人たちに投げよう』って(笑)。そこからもう、外堀を埋めるようにじわじわと関係を築いていって、『実はこういう曲があるんですけどお願いします』っていうことで(笑)、一緒に作っていただいたって感じです」
ピアノ弾き語りはメインディッシュではなくなってきてる感じがする。でも、闘争心の核みたいな部分は一生なくならないと思っているので
――自分の引き出しが増えていくことで、過去には表現できなかった楽曲に光が当たっていくっていうのは、まさに今の日食さんのモードだからっていう気はしますね。「そうですね。秘蔵し甲斐があったというか。前作の“meridian”っていう曲も同じパターンで、18歳の時に書いて難しくて放置していたっていう曲なので。実はまだまだあるんですね、そういう曲が。『ミメーシス』と今回の『はなよど』で、それを掘り出せる!っていうことに気がついたので、今後もこれはたぶんやっていくだろうなと。最新作の中に、どさくさに紛れて10何年前の曲を差し込んで、『どーれだ?』っていうのは、しばらくやっていくと思います(笑)。その『どーれだ?』をちゃんとやれるように、自分の聴く音楽の引き出しを増やしていって、『この曲だったらこの方』って最適な形でキャスティングできるように、いろいろ掘っていき続けたいなって。並行作業でやっていきたいですね」
――17〜18歳当時の自分の楽曲に対して、「こういうアプローチもあるよ」って今の視点でプロデュースしてあげるようなところもありますね。
「確かに、プロデュースっていう目線ではあるかもしれないですね。作った人間の気持ちをものすごくわかってるプロデュースっていう、ずるい立場ではあるんですけど(笑)」
――ピアノと歌で世界と対峙するファイターの歌ではなくて、今回は楽曲をいかにアレンジで花開かせるか、というところにきれいに照準が合っている感じですよね。それが作品の包容力に繋がっていて。
「そうですね。ピアノ弾き語りというところにも、いい意味であまりこだわらなくなってきて。ピアノ弾き語りという形のみならずの日食なつこ、というものがあったほうが、お客さんも楽しめるんじゃないかなって。で、『別に弾き語りを捨てたわけじゃない』っていうのは、言わなくてもわかってくれるようなお客さんが、しっかり集まってきてくれるので。そこは信頼してますね、いろんなことにチャレンジさせてくれるお客さんだなって」
――ピアノと歌は軸としてはあるけど――。
「それがメインディッシュではなくなってきてる感じはするかな、っていうふうには思います。ピアノ一本でのファイターみたいなところは、たぶん根底にずっとあり続けるので。今回は包容力っていうところに意識的に振ってはいるんですけど、その次でまたファイターに戻る瞬間っていうのも、まったくもってあり得ると思いますし。その時に――ファイターの姿にはなるだろうけど、ピアノの前にいるのか、どういう武器を持っているのか、っていう部分に関してはもう、いかようにでも闘いたいなと思ってますね。闘争心の核みたいなところは、一生なくならないと思っているので。もし今回、この作品を聴いて『そこ大丈夫か?』って思った人は、ご安心ください!っていう感じではあります(笑)」