そうして積み重ねてきた10年。ズーカラデルの音楽が聴き手へどんなふうに届きどう育ってきたのかは、ここへ来て次第に──ライブ会場でのリアクションとはまた違った──目に見える形となって返ってくるようになった。ひとつは演奏し続け2月19日にリリースされた“友達のうた”を基に今泉力哉監督の解釈で舞台設定やストーリーを構築した短編映画『冬の朝』。そしてふたつ目は、お笑い芸人の銀シャリが、自らの20周年記念ツアー「銀シャリ単独ライブ20周年記念ツアー「純米大銀醸」」のオープニング楽曲として制作をオファーした最新曲“ローリンローリン”である。
バンドがテーマ曲のように大事にしてきた楽曲を全く別の角度から映像として解釈・再構築する試みに、お笑いと音楽という違ったフィールドで技を磨いてきた者同士の邂逅と共鳴。どちらもズーカラデルのある種愚直でさえある歩みがあってこそ実現したコラボレーションに他ならない。そんな交わりの中であらためて見えてきたであろう自分たちのカラーや精神性について、10周年イヤー真っ只中の3人は率直に語ってくれた。
インタビュー=風間大洋 撮影=オバタチヒロ
──“友達のうた”を原作とした今泉力哉監督の短編映画『冬の朝』や、新曲“ローリンローリン”の書き下ろしオファー。10周年のタイミングで自分たちが何か仕掛けていくのとは別軸で、この10年間でズーカラデルの曲が聴き手にどう伝わったのか、どう受け取られたのかという側面を感じる動きが続いているのが面白いなと思いました。やっぱり続けてきた意味がある実の結び方をしてるんだなと思いますね。(山岸)
吉田崇展(G・Vo) 確かに面白いタイミングでいろいろなお話をいただいて嬉しいですね。“ローリンローリン”は銀シャリのおふたりからお声かけいただいたんですけど、なんというか……知ってる人なので(笑)。音楽で言ったらグラミー取ったくらいの。
──M-1チャンピオンですからね。
吉田 そういう人が、曲から何かを感じてくれていたっていうことが立派なもんだなと思って。それは単純に嬉しかったですね。
鷲見こうた(B) 「好きで聴いている」から「曲を書き下ろしてほしい」って、より一歩踏み込んだことだと思うし。銀シャリのおふたりも言ってしまえばビッグアーティストにオファーすることもできた中で、僕たちを選んでくれたのはすごく嬉しいです。
山岸りょう(Dr) 確かに、今まで出した曲を聴いてくれた人がこのタイミングでちょうどオファーをくれたり、こちらからオファーしたら既に知ってくれていて「ズーカラデルならやりたいです」って言ってくれるっていうのは、やっぱり続けてきた意味がある実の結び方をしてるんだなと思いますね。
──“友達のうた”の映画のほうはどういう経緯だったんですか?
吉田 “友達のうた”のリリースにあたって映像で表現できる何かを作らないかってアイデアが最初にあって。MVは曲のために作ってもらう映像なので自由度はどうしても下がっちゃって、映像の中の物語とか言葉の力はだいぶ制限されちゃう側面があると思うんですよ。なので、MVとは別の何か新しいものをぶつけてみることで、“友達のうた”っていう曲にいいことが起きるんじゃないかと思って。
鷲見 ずっとライブハウスで演奏し続けてきた曲で、ライブハウスの空間内の景色やお客さんとの関係の歌という認識があったので、たとえば男女の恋愛とかに置き換えるとしたらどういう景色とストーリーが描かれていくのかが想像できない分、すごく興味がありましたね。
──実際に映像を観ても「こうなるんだ!?」という予想外の驚きはありました。一対一の話でもないし、舞台も音楽と直接的に関わらないという。
山岸 オファーした段階から、曲に対する我々のぼんやりしたイメージとは全然違う角度から向き合ってくれた結果できるものや、強いもの同士のぶつかり合いで生まれるものに期待したいという話はしていて。結果、曲から解釈が広がったというより、全然別のところに解釈が生まれたような感覚がありました。きっといろんなところでそういうものが生まれて、それを囲むズーカラデルの“友達のうた”という総体がよりデカくなっていく図が──。
吉田 ベン図ね(笑)。
山岸 そう。ベン図が重なってないところも円でまとめちゃう、みたいな?(笑) あの映画一本観ただけで、そうやってよりデカくなっていきそうな景色まで見えました。
吉田 ずっとライブハウスでやり続けていた“友達のうた”を配信して世に放つということはつまり、自分たちの思いや見た目とか関係なく、他の人の生活の中で曲が流れるということなので。自分たちの想定を超えていってもらわなければ困るなとはリリース時から思ってたんですけど、本当にきれいにその足がかりを作ってもらえた感覚というか。自分たちは思っていなかったけれども、間違いなく“友達のうた”の正解だよねって言えるものの出し方を見せてもらった気がしました。
── 一方、“ローリンローリン”はオファーを受けての書き下ろしで、バンド側が先方のイメージを解釈したり膨らませていく作業ですよね。何かお題のようなものはあったんですか?お客さんの様子を掴みながら一歩一歩にじり寄っていく様子から、本当にこの人たちは舞台で生きてきたんだなという感じがして(吉田)
吉田 ライブのオープニング曲を作ってくれないか?というだけでした。最初はもうちょっとミドルテンポでビッグバンドのジャズみたいな曲を作りたいと思ってたんですけど、前にやった単独ライブの映像を観せてもらったら「こっちかも」という感じでスルスルと出てきて。
──銀シャリの漫才の様子や姿、空気みたいなところから受け取るものがあったと。
吉田 そうですね。……あんまり偉そうにお笑いの話だけはしないでおこうと思ってたんですけど(笑)。感動したポイントがあって。漫才師の方々って、ネタに入る前にお客さんの空気を掴みながらお話をされるじゃないですか。その立ち姿がめちゃめちゃかっこよかったことがインスピレーションになりました。着実にお客さんの様子を掴みながら一歩一歩にじり寄っていく様子から、本当にこの人たちは舞台で生きてきたんだなという感じがして、かっこいいロックバンドのライブを観てる時のような興奮──バンドで言えば曲が始まる時の間とか、メトロノームでは表現できない微妙なリズム感とか、そういう舞台の上にあるダイナミクスが最初の数分でバチバチ飛んできて。そこで感じた渋みみたいなものをいちばんかっこよく表現するためには、転がっていくような勢いのある曲のほうがいいかもしれないと思い始めました。
山岸 ライブのオープニングに相応しい軽やかさとか、何かが始まりそうな感じを出しつつも、歌詞としては日の当たっているところと陰のところを繰り返しながらどこまでも続いていく道の途中だと解釈していて。それが朝とか夜という言葉として出てくるのを聴いて、銀シャリのショウマンとしての苦しみとか、我々の日々の生活までも内包してるんだなと思って。そういう歌詞と曲とのギャップもズーカラデルらしさ、吉田らしさであり、それを目的であるライブのオープニングにもバチっと嵌められた曲で、「すごーい」と思いました(笑)。
鷲見 確かに。いい作りだなあ。