ディープ・パープルーー当時日本中のロックファンが大熱狂した1枚に伊藤政則が切り込む!

ディープ・パープルーー当時日本中のロックファンが大熱狂した1枚に伊藤政則が切り込む!

現在発売中のロッキング・オン9月号では、ディープ・パープルの記事を掲載しています。
以下、本記事の冒頭部分より。



文=伊藤政則

ワーナー・パイオニアのディープ・パープル担当ディレクターだった折田育造氏によると、1972年のディープ・パープル初来日時に、プロデューサーのマーティン・バーチも同行し、日本側が用意した2台の4トラックレコーダーを厳しくチェックしたという。折田氏は「マーティンには職人気質が感じられた」と回想している。

実はこの初来日公演は同年5月に予定されていた。チケットはすでに売り出されており、そのチケットには『ファイアボール』のアートワークがプリントされていた。しかし、リッチー・ブラックモアが肝炎になり、他のメンバーも不調になって、公演は8月に延期されている。待望の初来日公演が延期になったことで、ファンの渇望感は異様なほどに膨張していった。

ただ、このバンドのライブパフォーマンスに関する正確な情報は、一切、ファンに伝わっていなかった。当時、日本の音楽専門誌で彼らのライブの詳細なレポートが掲載されていた記憶がない。つまり、日本のジャーナリストも彼らのライブを観たことがなかった。むしろ、ファンの方が何を期待するべきかをよく知っていた。

8月17日、東京公演が開催された日本武道館はぎっしり埋まっていた。開演前は奇声があがるなど、妙にザワザワした緊張感に包まれていた。北側には観客を入れず、バンド名を書き込んだ巨大な看板が占めていた。

そして、例のジョン・ロードのオルガンが合図になり、イアン・ギランのMCと共に新作『マシン・ヘッド』のオープニング曲である“ハイウェイ・スター”が始まった。(以下、本誌記事へ続く)



ディープ・パープルの記事は、現在発売中の『ロッキング・オン』9月号に掲載中です。ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。

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