(rockin'on 12月号掲載)
文=中村明美
少し前のニューヨーク・タイムズ紙は「ミステリアスな、仮面のメタルバンドたちが、再び台頭」と題した記事を掲載した。スリープ・トークンやゴーストといった覆面バンドが、徹底した世界観と演奏技術を軸に、ニッチなファンダムを動かし、チャートの頂点にまで押し上げられる現象について分析したものだ。いま、匿名性と神話性を纏った“儀式のような音楽”が、新たなシーンを生み出し、注目を集めている。
ゴーストは今年、『Skeletá』で全米1位を獲得し、マディソン・スクエア・ガーデンでの単独公演を実現した。そしてロンドン出身のスリープ・トークンもまた、2016年のデビュー以降、急速にカルト的支持を拡大。2023年『テイク・ミー・バック・トゥ・エデン』でその地位を確立し、今年5月に発表の『イーヴン・イン・アーケイディア』では全米1位を獲得した。彼らはもはやサブカルではなく時代の徴となった。9月16日〜10月11日に行われた米アリーナツアーも全公演即完売。そのツアーの一夜、9月22日、ニューヨーク、ブルックリンのバークレイズ・センター(キャパ1万9000人)で、彼らが築き上げた神話を観る貴重な機会に恵まれた。
会場に入ってまず驚かされたのは、客層の多様さだ。黒いドレスを纏った10代のゴスキッズも、マスクを被ったZ世代の“信者”もいる。新世代に限らず、デフトーンズやメタリカ、シガー・ロスなどのTシャツを着た40〜50代のX世代も多く見られた。演奏技術によるものだと思うが、彼らの音楽が、世代を超えて届いていることが示されていた。
グッズ売り場も長蛇の列で、バンドのシンボルとアルバムのアートワークと同じピンクの花が描かれたTシャツやトートを手にしたファンが、まるで秘教の証を手に入れたかのように嬉しそうに微笑んでいる。メタルでピンクというのが新鮮だったし、暴力性と優雅さが同居していて、それは彼らの音楽そのものの比喩でもある。会場にはコミコン的なノリもあったし、SF小説の世界観やビデオゲーム、神話、あるいは暗号の解読のような“世界を読み解く楽しみ”も感じられた。彼らの匿名性は、聴き手が自らの世界観を築きやすく、ファンが抱える苦痛や不安、トラウマを投影する装置として機能しているのかもしれない。また、ヘヴィなギターサウンドは、現在のメインストリームの流れを考えると、新世代には“発見”のように新鮮であり、その過剰さこそが、今の世界の狂気から逃避する方法となっているのかもしれない。それは、リスナーが自分の神話を築くための安全な場所を提供しているようにも思えた。彼らのライブは、現実の苦しみを受け入れるための幻想の場でもあるのだ。
会場では、真っ黒な幕が降りると同時に、ピンクの花びらが舞い落ちた。瞬く間に神秘的な空間が立ち上がり、その瞬間、悲鳴にも似た歓声が上がる。私の後ろにいた観客は、「ボーイバンドのライブが始まるみたい」と言っていたほどだ。ただ、他のライブと比べると、終始、携帯で撮影している人の数が極端に少なかったのも印象的だった。観客は目の前に繰り広げられる世界に、完全に没入していたのだ。幕が閉じたまま、最新作の1曲目である“ルック・トゥ・ウインドワード”が始まる。幕の上にゆっくりとバンドのシンボルが描かれ、完成する。まるで、この場に集まったファンだけが体験できる、神秘的な“崇拝”の儀式が始まったかのようだった。実際、ボーカルのヴェッセルは、2017年にMetal Hammer誌で、ライブとは「礼拝」と答えている。
リズムが高鳴り、花びらが舞い落ちると、歓声は一旦鎮まる。静粛の中、曲の半ばで、爆音のギターが鳴り響いた瞬間、幕が落とされ、蛍光ピンクの照明が激しく点灯する。劇的な始まりに続き、ステージの中央には、巨大な多層構造の要塞、あるいは城のようなセットが出現する。まるでSFの世界か、ビデオゲームの世界が現実化したようだ。中央にはバンドのシンボルが掲げられ、その下には滝が流れ、アートワークと同じピンクの花があしらわれている。この日のライブでは、映像投影や照明効果が一体となり、息をのむような幻想的空間作り出す一方、EDMのライブにも通じるストロボの閃光が炸裂し、観客の感覚を一気に解き放っていった。その綿密な演出によって、エモーショナルでドラマチックな高揚感が途切れることなく続いていく。圧巻のメインストリームエンターテイメントだった。興味深いのは、そのステージに、最近観たレディー・ガガやチャペル・ローンといったメインストリームアーティストの演出との共通点が見られること。巨大な家のセット、仮面に近いメイク、現実と虚構の境界を揺るがすような構成。スリープ・トークンも、その最前線に立っている。
城の高台に3人のコーラス隊Esperaが立ち、ドラムのⅡ、ベースのⅢ、ギターのⅣが持ち場につく。やがて、中央の扉が静かに開くと、長身のヴェッセルが再びわき起こった大歓声の中に登場。他のメンバー同様に黒いフード付きの長いコートを羽織り、マスクを被る。その姿からは圧倒的なカリスマ性が放たれている。トゥールを思わせるような催眠的なメロディーから、やがてR&B的な旋律へと変貌。その音には、メタルの重圧とR&Bの繊細さ、破壊と癒しが共存していた。ヴェッセルは歌う。《かつて俺は自分を知っていた/君もその輪郭を知っていた/いまの俺は自分を遠くへ放ちたいと願い/君は欠けた俺をもう一度ひとつに戻せたらと祈っている》。轟音の中ファルセットが響く瞬間、自己喪失と再生、孤独と救済の狭間が浮かび上がる。メタルの激情とR&Bの祈り、その両極を同時に鳴らすバンドは、今のシーンには他に存在しないかもしれない。それが新しい音楽の形として響く理由なのだろう。
また、スリープ・トークンの歌詞の核心にあるのは、内なる崇拝だ。ヴェッセルが語る「Sleep」とは外の神ではなく、人間の内部に潜む癒しの象徴である。“The Offering”では、あなたに全てを捧げるというような、他者への自己献身と依存の危うさを同時に描く。“Alkaline”では壊れた関係の中に浄化を求め、“Hypnosis”では快楽と破滅の狭間を漂う陶酔を歌う。“イマージェンス”は破壊の果てに訪れる再生の瞬間を、まるで古代神話のように描いている。『イーヴン・イン〜』全体を通して自己と他者、信仰と疑念、破滅と再生という二項対立を繰り返し交差させる。その構造は宗教儀式のようでありながら、個人的な心理の探求でもある。このバンドの匿名性は、「個」を消すことで、誰もが自分を投影できる媒体となっている。ヴェッセルは顔を隠すことで無数の他者の声を宿す存在となる。だから彼の歌には普遍性が宿るのだ。
この日のライブは1時間40分、全15曲構成。最新作からは最多の6曲が披露された。もちろん“The Offering”“The Summoning”“Alkaline”“イマージェンス”“キャラメル”など代表曲も演奏され、まさにバンドの信仰の核を体現する内容だった。“イマージェンス”では青い光に包まれたヴェッセルがキーボードを弾きながら《その腕で俺を包んでくれ》と歌うとすぐさま大合唱となる。“キャラメル”では赤い照明が空間を染め、音源以上に、静粛の中から熱狂を呼び起こす曲へと変貌していた。“プロヴァイダー”では、R&B的な情感が溢れ出し、観客の心を優しく包み込むようだった。クライマックスの“ダモクレス”では、感情を揺さぶるドラマチックな構成が展開される。優しい緑の光が会場を満たし、ヴェッセルとコーラスによる旋律には、どこか癒しの光が訪れるような感覚があった。実際、会場には花びらが舞い、この日最も美しい瞬間となった。
そして最後の曲“インフィニット・バス”では、緑のライトの中、ヴェッセルがステージ中央で《今、俺は落ちていく/無限の洗礼の中で》と歌いながら、静かに観客の方へ手を差し伸べた。その祈りのような旋律は、暴力でも逃避でもなく、共に痛みを抱えるための救済を提示するようだった。ザ・ウィークエンドを思わせるエレクトロサウンドとファルセット。しかし後半、X世代も共感するスクリームとヘヴィギターへと劇的に変貌していく。祈りが絶叫へ、静寂が解放へと転化する。ギターが重なり、ドラムが渦を巻く。ヴェッセルは、この日一度も観客に呼びかけることはなかったが、ステージ中央でひざまずき、両手を組んで天を仰ぐ姿は、彼の感情が最もあらわになった瞬間だったかもしれない。最後にはヴェッセルもギターを抱え、ギタリスト3人がステージの中央に集まり、約8分にわたる壮大な曲で締めくくった。ヴェッセルは両手を高く組み上げ、観客へ祈りと感謝を告げていように見えた。ファンはステージを見上げながら、同時に自分の内側を見つめている。神秘性を誇示するだけではなく、メインストリームのエンターテイメント性と見事に融合したライブ。静謐なのに劇的で、重苦しさはないのに深く響き、感傷に溺れないのに胸を打つ。スリープ・トークンの音楽は、極端に対立する要素をすべて抱え込み、それを美しく調和させる。メタルとポップ、神と人間、痛みと救済、孤独と共鳴。そのすべてが同じ場所で鳴り響くとき、現代という混沌の中に、新たな神話の輪郭が立ち上がる。その光景は、再生の儀式だった。現代社会のノイズに覆われた日常の中で、スリープ・トークンの音楽が、ファンの心に静かに、しかし強く語りかけていた。
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