厳密に言えば、テクニカルで深みのある曲調や、奥ゆかしい筆致の歌詞も含まれてはいるのだが、デビュー47年目のバンドがまたひとつ殻を脱ぎ捨てたかのように、延々と繰り返されてきた研究と構築と洗練の先で、新しいレベルのキャッチーさに到達してしまっているのである。先のインタビュー内での桑田の言葉を一言だけ引用すると「ぽとーんって紙に垂らしたものがうまく広がったっていうかね」という具合なのだが、実際にアルバムを聴くとそのイメージが理解できる。力みも迷いもなくぽとーんと垂らしたものが表現として確かな像を結ぶのは、とんでもない達人にしか成し得ない所業だ。
そこで今回は、『THANK YOU SO MUCH』収録曲の、主に歌詞に焦点を当てた全曲レビューをお届けしたい。誰の耳にもするりと滑り込み、心躍らせる楽曲たち。そこで歌詞として紡がれた言葉たちには、どれだけの思いと技巧が込められているのか。あなたも一緒に読み解いていただければ幸いだ。
文=小池宏和 撮影=西槇太一
①恋のブギウギナイト
恋心とは切っても切れないエロスを、フィジカルな高揚感として描き出すこと。“恋のブギウギナイト”では新しさと懐かしさが入り混じって聴き手の時間感覚をぐにゃりと捻じ曲げながら、《魔法が解けて目が覚めりゃ/まるでバカみたい》と、誰もが懲りずに何度でも捕らわれてしまう愛欲と音楽の牢獄について言及してみせる。この曲の最大のキモは、《「口説き文句」はDance、、、ね。》に込められた、耳元で囁き温度や湿度まで伝わるような誘惑の距離感だろう。伸るか反るか、待ち受けているのは天国か地獄か。物語の始まりを告げる必殺の一語《ね。》で、『THANK YOU SO MUCH』は幕を開ける。
②ジャンヌ・ダルクによろしく
ブルージーで骨太なロックンロールを奏でながら、不撓不屈の情熱を燃やすロックアーティストの心意気が歌い込まれている。アスリートたちやその支援者たちをも鼓舞する力強い響きをもたらしているのだが、重要なのは《生まれ落ちたる身の上/歌は平和を奏でる武器でしょう》という一節だ。生きている以上、人は本能的に大なり小なり闘争心を抱いているもので、そんな闘争心を建設的に解放するために、スポーツや音楽が文化として推奨され育まれてきた歴史がある。ジャンヌ・ダルクの勇ましさに敬意を表しながら、戦争を通じて哀しい運命を辿った彼女についても思いを馳せずにはいられない楽曲だ。
③桜、ひらり
《突然/あれからしばらくは/生まれたこの場所が/嫌いになったよ》という歌詞は、傷ついた被災者が故郷に対して抱く複雑な心境を映し出している。つまり“桜、ひらり”とは、ただ時節柄に歌われた春待ちソングではなく、傷ついた人々の心の雪解けを願うように歌われた楽曲なのである。春の美しい風景を表す《柳暗花明》のフレーズもまた、風景を目の当たりにした感嘆ではなく、希望の風景として思い描くためのものだろう。《でもね/遊びにおいで/待ってます》はライブツアーへの誘いであり、また観光支援の呼びかけでもあるのかもしれない。
④暮れゆく街のふたり
じっくりと伝うメロディに乗せられた言葉数は少なく、厳選と洗練の限りを尽くした歌詞になっているのだが、そこから浮かび上がってくるストーリーの豊かさ/心象の鮮やかさは信じがたいほどだ。ありふれた、ひと夏かぎりの恋の終わりからストーリーは始まる。《いつも通りあたしここで待ってるよ》という一行から読み取れるのは、スマホもガラケーすらも登場していない時代背景だ。そして、お互いに気づくことのない思いのすれ違いが切なさを増幅させてゆく。とりわけ《夜嵐がドアを叩く/トントンと》、《立つ鳥は羽音も立てず/ホウホウと》といった、音の描写の行間から沈黙を伝える手捌きがすごい。作詞家・桑田佳祐の真骨頂だ。
⑤盆ギリ恋歌
「盆義理」がそうであるように開催の時期や形式はまちまちだが、先祖の霊に対する信仰は日本各地の人々にとって馴染み深いものだ。そして死者を弔う儀式とは、何も神妙で厳かなものばかりではない。楽しげで賑やかな儀式も、世界中の数多くの地域に存在している。《こりゃ/スーパーボウルやグラミー賞より/盛り上がるんでShow!!》と誇り、呑み踊り歌う我々の特別なロックンロールがこれだ。
⑥ごめんね母さん
《すべての物事にウラとオモテがあって/キレイゴトばかりじゃ/世の中は破滅》と自分自身に言い聞かせる一節も痛ましいのだが、それは闇バイトか、あるいは著名人の不祥事か。こんなふうに社会の暗部を切り取ってフィクションとして描いた歌も、決して他人事とは言い切れない部分があるだろう。そもそも、何かしらの罪悪感に苛まれたことのない人というのは、ごくごく僅かな、恵まれた少数派にしか過ぎないはずだ。愚かで脆く、儚い。果たしておまえは、これを笑えるほど立派な生き方をしているのか。ミステリアスな響きが、そんなふうに問いかけてくる。
⑦風のタイムマシンにのって
鎌倉を舞台に数々の楽曲を歌ってきた原坊が、サザンのデビューアルバムに収録された“茅ヶ崎に背を向けて”とは逆に鎌倉方面からの桑田の帰郷を歌う、まさにサザン史のタイムマシンという趣を備えたドラマティックな1曲だ。
⑧史上最恐のモンスター
冒頭部分は、近年厳しさを増すさまざまな自然環境や災害に嘆いているように思えるが、桑田は《人の欲望は深くて/いつもBlind》と歌い、そんな災害は《人間が生んだモンスター》だとしたためている。つまり、今日の社会に降りかかる困難は人の行いが要因のひとつでもあることを仄めかしているのだ。《お怒りになった龍神さん/お止めになって雷神さん》は水害や落雷による火災についての喩えとも取れるが、穿った見方をすれば津波と発電所である。《あゝ ウクライナの春は待ちぼうけ》に至っては、ズルズルと泥沼化してきた停戦交渉を挙げるまでもなく、戦争という人類の愚挙について溢れ出した思いだろう。
⑨夢の宇宙旅行
《御守りはIggy Popのサイン》《虚しいだけの人生なんて/おサラバ!!/惨めなだけの恋愛なんて/ザケんじゃねえ!!》といったふうに、宇宙旅行はロックバンドと同等かそれ以上に、しがない現実を越えてゆくためのモチベーションだった。ところがこの歌の終盤、ワクワクの宇宙旅行を体験していたはずの年老いた少年は、夢から醒める。そこには当然「こんなはずじゃなかった未来」として現実が広がっているのだが、《目の前に大谷翔平のサイン》があった。誰もが夢見ることすら叶わなかった今を生きている、若きスーパースターの肖像。現実はときに、かつての夢の風景さえも追い越してゆくものなのである。
⑩歌えニッポンの空
1コーラス目の歌詞では《ここで生まれて育って/夢見ることを学んだ》と桑田が自身の故郷・茅ヶ崎のことを歌っている(直前の歌詞に出てくる『浜降り』とは、近隣の神社がこぞって参加する古くからの祭礼「浜降祭」のこと)のだが、2コーラス目になると新たに生まれくる命の祝福や、現世から旅立ってしまった大切な人の姿を重ね、リスナーがそれぞれの故郷に思いを馳せる楽曲となっている。同年に開催された「茅ヶ崎ライブ2023」の野外パフォーマンスに向けたテーマ曲であることはタイトルからも明らかなわけだが、あたかもスペイン語の間の手のごとく景気よく弾ける《ありがとう!!》に、命を育み、そして見送る我々の故郷ニッポンへの感謝の念が見事凝縮されている。
⑪悲しみはブギの彼方に
トロピカルなニュアンスを含みながらスウィングするグルーヴは、テクニカルで滅茶苦茶にかっこいい。彼らが若かりし頃から如何に野心的な楽曲制作を行っていたかがよくわかる。《雨が降らないと 米食えない》という歌い出しの歌詞は、本来ならソウルフルに発語するユーモラスな桑田節にニヤリとするところだが、まるで令和の米騒動を予言していたかのようにも聴こえてギョッとしてしまう。《ちょいとお待ちよ 車屋さん》は、1961年に発表され人気を博した美空ひばり“車屋さん”の引用。洋楽ルーツと邦楽ルーツが大胆に交わるさまも面白い。
⑫ミツコとカンジ
歌詞のストーリーは、カンジ目線で離別の悲哀と強がりを歌いながら進行してゆくのだが、あの元気があればなんでもできるはずの燃える闘魂が《カラダの傷など/Oh oh/ナンにも怖くはないが/ただ心の痛みに震えてる》と弱音を晒すので、情けないやら、「意外とそうかも」と納得してしまいそうになるやら、下世話な興味を掻き立てて止まない架空ストーリーの手捌きに唸らされる。楽しそうに歌詞をしたためる桑田の姿が目に浮かぶようだ。《闘いの大海原で/あの子の顔が/チラついたら/チョップ食らったよ》。食らわせたのは天龍かムタか。プロレス史もびっくり仰天、そんなストーリーの真相は今、星になって夜空に輝いている。
⑬神様からの贈り物
華やかで力強いフィリーソウル風の“神様からの贈り物”は、サザンというグループが約半世紀をかけて辿り着いた率直なメロディとメッセージ性をもって、ポップ・ミュージックの「世界を変える」瞬間へとリーチしてみせる楽曲になった。《薔薇色のニュース/わかれうたはブルース/そんな日もあるでしょう》という一節が引っ張り出す記憶は人それぞれだとしても、その先の「今」を生きる我々をポップ・ミュージックが平等に照らしてくれるという事実を、サザンはよく知っている。《天使のように/翼が生えたみたいさ/神様からの贈り物/極上のメロディ・ライン》。『THANK YOU SO MUCH』という、一見素朴なアルバムタイトルに込められた真意はなんだったのか。それは、我々と同じように素晴らしいポップ・ミュージックに心をときめかせ、いくつもの冷たい夜を潜り抜けてきたサザンが、ポップ・ミュージックを育み共有させてくれる文化土壌すべてに寄せる感謝の思いだったのではないだろうか。
⑭Relay〜杜の詩
サザンと同時代に活躍してきた故・坂本龍一は他界する間際までこの社会問題に熱心に取り組んでおり、《ピアノの音色が今も胸に響く/コミュニケーションしようと》という一節が、思いのリレーを繋いでいる。《いつもいつも思ってた/知らないうちに/決まってる》。必要なのは対話であるということ。だからサザンはこのメッセージを美しい楽曲に乗せた。未来に託すバトンが、あらためてアルバムの余韻と化すようだ。
●リリース情報『THANK YOU SO MUCH』
発売中
<形態>
完全生産限定盤A [CD+SPECIAL DISC(Blu-ray)+SPECIAL BOOK]
品番:VIZL-3000 価格:¥9,680(税込)
完全生産限定盤B [CD+SPECIAL DISC(DVD)+SPECIAL BOOK]
品番:VIZL-3001 価格:¥9,680(税込)
通常盤 [CD]
品番: VICL-67300 価格:¥3,960(税込)
アナログ盤 [2LP]
品番:VIJL-62400~1 価格:¥5,500(税込)
<収録内容>
■CD
1. 恋のブギウギナイト
2. ジャンヌ・ダルクによろしく
3. 桜、ひらり
4. 暮れゆく街のふたり
5. 盆ギリ恋歌
6. ごめんね母さん
7. 風のタイムマシンにのって
8. 史上最恐のモンスター
9. 夢の宇宙旅行
10. 歌えニッポンの空
11. 悲しみはブギの彼方に
12. ミツコとカンジ
13. 神様からの贈り物
14. Relay〜杜の詩
■完全生産限定盤SPECIAL DISC
「Live at ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2024 in HITACHINAKA」
企画・制作:ROCKIN'ON JAPAN編集部
サザンオールスターズのレビューが掲載されている『ROCKIN'ON JAPAN』5月号のご購入はこちら
*書店にてお取り寄せいただくことも可能です。
ネット書店に在庫がない場合は、お近くの書店までお問い合わせください。