本日ニュー・アルバム『#7』をリリースしたサポート・アクトのPsysalia Psysalis Psycheの演奏が終わる頃には、アストロホールもかなり混み合ってくる。ステージの無い会場が好きだというアイスエイジは観客に囲まれて演奏している写真や映像もだいぶ見かけるが、今夜ステージに現れた彼らは中央前にヴォーカルのイライアス・ベンダー・ロネンフェルト、その後方にドラム、左右にそれぞれベースとギターというスタンダードな布陣。ライヴは新曲で幕を開ける。
彼らの音楽をジャンルで語るのは難しい。それはパンク、ポストパンク、ゴシックロック、ノイズ、ハードコア、ブラックメタルなど多くのラウドな表現形態を見渡すことのできる地点にあるが、その中心を占めるのはジャンルと呼ぶにはあまりに自明な何かであるように感じられる。新曲を交えながら、代表曲の1つ“White Rune”、「次の曲は“Rotting Heights”です」と英語で導入された“Rotting Heights”、レコーディングの5割増しくらいの速さで始まった“New Brigade”などの1stアルバム収録曲を披露していく。
イライアスのMCもたまに曲紹介をしたり「Thanks」と一言呟いたりする程度のかなり簡素なものだけれど、後ろの3人は曲がどれだけ凄絶を極めても互いのほうを向いたまま演奏に必要なぶん以上はほとんど動かず、ダルデンヌ兄弟の映画の登場人物みたいにデッドパンな顔つきで演奏していて、観客のことを全然意識していないように見える。だが同時に、飾り気のないシンプルな服装と、まだあどけなさが残る19歳のメンバーたちの表情からは、アメリカやイギリスの大人びたティーンエイジャーとは一風異なる素朴さのようなものも感じられる。
欧米のインディー・シーンが全体としてこの数年で顕著にAOR化し、少なくとも表面上はイージー・リスニング化していること(もちろんそこには必然性と意義があるにしても)を考えると、『New Brigade』が多くのファンやメディアから熱心に取り上げられ、「この数年で最高のパンク・アルバム」と称賛されるのももっともなことに思える。結局のところ、私たちが音楽に求めていることの1つは、あらゆる人間を飲み込んで同化する巨大な(外的なそして内面化された)潮流の前で、個としての自分を確認し、維持し、変革していくことなのだろうから。
「どんなバンドの後追いもしたくない。自分たちのことは自分たちで決めたいんだ」とインタヴューで語っている彼らは、「僕らの生活や周囲の物事、感情、置かれた状況、考え」を表現することで世界を自らの音楽で語り直し、そこに自らの位置を見出していく。そのプロセスにおいて彼らは、例えば「new brigade(新しい一派)」というタイトルが示すようにある種の「紐帯」の感覚を追求しながら、「white rune(白いルーン文字)」という仲間内でのみ通用する太古の神秘的符号によってその紐帯の不可侵性を守ろうとする。
このことは一方でアイスエイジがそのゴシック的な曲調も含め、現代社会の価値観を新規性よりはむしろ歴史性によって転覆しようとする復古・右傾化の危うい印象と付き合わなければならないことを意味してもいる(実際に上記の2曲はその歌詞や映像http://www.youtube.com/watch?v=p4cI7WzCAq0 に含まれるいくつかのシンボルなどによって一部のリスナーから「ファシスト・ソング」との謗りを受けている)。しかし「新しい一派」が思想集団ではなく、「白いルーン文字」が架空の言語であり、シンボルの類がイライアスの言葉を借りれば「単なる美学で、クールだと思ったから使った」ものであること、つまり彼らがこうしたガジェットを利用して実現しようとしている別の何かがあることを見落としてはならないだろう。