ソウル・フラワー・ユニオン ゲスト:BRAHMAN @ SHIBUYA O-WEST

ソウル・フラワー・ユニオン ゲスト:BRAHMAN @ SHIBUYA O-WEST
ソウル・フラワー・ユニオンの、3月定例となっている対バン企画『闇鍋音楽祭』。今年は大阪でFRYING DUTCHMAN、向井秀徳アコースティック&エレクトリックとそれぞれ一夜ずつ共演を果たし、東京ではまず3/23の渋谷O-WESTでSAを迎えてのステージを行った。さて翌24日、引き続き同会場で相見えるのは、BRAHMANである。東日本大震災から1年、多くのアーティストが、さまざまな形で復興のための活動に尽力しているけれども、SFUとBRAHMANがこうして共闘姿勢を明らかにするという構図に言い尽くせぬ頼もしさを覚えるのは、多くの人々に共通した思いだろう。まるでそのことを証明するかのように、チケットはソールド・アウトである。

アカペラで朗々と『男はつらいよ』の主題歌を歌いながらステージに姿を見せた中川敬(SFU※このところ寅さんシリーズにハマっていたらしく、一作観るたびに感想をツイートしたりしていた)が、「やっと実現しました! BRAHMAN!!」と呼び込んで4人が登場。オープニングが“Kamuy-pirma”で、いきなり驚きと喜びが押し寄せて来た。「神の耳打ち」を意味するタイトルの、アイヌ語で歌われるこの曲がなぜオープニング・ナンバーなのか。奇しくも、SFUのデビュー・アルバムは同義語の『カムイ・イピリマ』というタイトルである。マイノリティとして追いやられた人々の声。決して侮るべきではない自然の脅威。日本という国家の枠組みはいったい何なのか。受け止める人それぞれに解釈の幅は広がるが、こんな共通項を掲げながら登場してくれたBRAHMANなのである。まあ、ただの偶然の一致かも知れないけれど。

「世界がどう変わるかなんて知らねえ。でも、世界をどう変えてゆくかは俺たちの意志にかかってる。この場所で大切なものをすべて教わり続けてきたBRAHMAN、始めます」というTOSHI-LOWの口上に沸騰するO-WEST。ものの10分という間にTシャツをずぶ濡れにしながら、全身から思いを噴き出させるように歌うTOSHI-LOWである。憤怒や悲哀をすべて抱え込んでしまったバンドの怪物的な轟音は、繊細な調べと激しい濁流の間を行き来するKOHKIのギターも、ハードコアな爆走を支えるRONZIのドラムスも、重荷を振り回すようにドライヴするMAKOTOのベースも、がっちりと組み合ってステージを押し進める。その響きはなぜか、ときに軽やかに聴こえてしまう瞬間さえあるのだ。音楽は、なんて多くのものを抱えて走ることが出来るのだろう。

矢継ぎ早に楽曲を繰り出し、息を切らしながらTOSHI-LOWはニューエスト・モデル(SFUの前身バンドのひとつ)のアルバム『プリティ・ラジエーション』と出会ったときの爆笑エピソードを披露する。そして子どもや年配まで楽しませることができるSFUの音楽についてや、被災地の瓦礫を前にしてSFUの“満月の夕”を反芻していたこと、かつて阪神・淡路大震災のときに何もアクションを起こさなかった後悔、そして、これからは後悔しない未来を作りたいという思いなどを、熱く語っていた。直後の“霹靂”が胸に沁みる。音楽が本当の意味で胸に染み入るということは、その音楽が胸の内に留まって、力をもたらし続けてくれるということだ。“満月の夕”がそうであるように、“霹靂”はこれからも多くの人々の支えになってゆくはずの曲だ。

さて、『THE NUCLEAR ERA IS OVER! IF YOU WANT』の文字が書き込まれた賑々しくカラフルなイラストのバックドロップを背負い、続いてはSFUである。中川は「前売り(チケット)の売れ方すごかったな! 一瞬、勘違いしてもうたわ。BRAHMANって、売れてるバンドやねんな」とか何とか笑いではぐらかしながらも、バンドはSFU流ミクスチャー・ロックの強く瑞々しいグルーヴを練り上げてゆく。BRAHMANではガンガン拳が突き上がっていたフロアだが、こちらは以前、中川が語っていたところの「拳を開いて、まちまちに踊る歌」というところである。

キャリアの中で生み出されてきたオリジナルの名曲レパートリーの数々だけには留まらず、「この雑食アレンジ/グルーヴさえあればSFU」と言わんばかりのカヴァー曲が多いことも、SFUの厄介なところ、もとい面白さである。BRAHMANとはまた違った切り口の総力戦だ。奥野真哉のけたたましい鍵盤が炸裂するインスト・チューンや、現編成の紅一点・上村美保子(Vo.)が味わい深い歌声を披露する民謡や歌謡曲。ロンドン・パンクにワールド・ミュージックの反戦歌(東北を鼓舞する歌詞で歌われていた)と放ちまくる。無節操、ではない。むしろ一貫している。つまり、フォークもレゲエもパンクも演歌も、すべては元々レベル・ミュージックとしての顔を持っているんだよ、ということ。あと、JIGEN(B)の芯の強い歌声も、なんかやたらにかっこ良くなってしまっていて、正直目のやり場に困ることがある。

奥野:「さっき、TOSHI-LOWくんのMCでグッときてしまって。自分がいかにちゃんとしてないか、よくわかった」

中川:「俺ら、もっとちゃんとせなあかんで」

奥野:「昨日のSAでも思ったけど、体、鍛えなあかん」

中川:「震災直後のTOSHI-LOWたちの動きにはほんと力を貰ってね。俺も何か出来るかな、と思ったけど、俺、腰悪いし。ピックより重いもの持てへんから、支援物資とか運べんし。あ、俺、民謡歌手やった!って思い出して。この体型も民謡歌手の仕様やねん。ソウルフルな感じで」

奥野:「みんな、甘やかしたらあかんで」

BRAHMANファンがますます混乱するので、関西人コンビの悪ノリはほどほどにして頂きたい。それでも、中川が宮城県女川町の瓦礫の中に見つけたターンテーブルの奇跡的な縁(twitterにアップした写真から持ち主が地元のかまぼこ店店主であることが判明し、しかもその男性は阪神・淡路大震災の折にボランティアとして活動、ソウル・フラワーの被災地ライヴにも協力していたという。去る1月、ソウル・フラワー・みちのく旅団 with リクオの編成で、同かまぼこ店での被災地ライヴも実現した)から生まれたアップリフティングな復興ソング“キセキの渚”はもちろんのこと、ソウルフルなブルース・ファンク風の新曲も披露された。被災地のレコード・ショップの売上げに貢献する活動も進めているそうだ。いつしかO-WESTは、どちらのバンドのファンということもなく、反骨の祭宴ロックンロールに踊り、高らかな歌声が広がってゆく。

アンコールではなんと、SFUのステージに「ハズカシー」と零しながらも笑顔のTOSHI-LOWがビール缶片手に登場。ニューエスト・モデル時代からのパンク・ナンバー“エンプティ・ノーション”で共演を果たす。リアルタイムで触れていたというだけあって、若かりし中川作のクセのあるメロディを難なく歌いこなしてしまうTOSHI-LOWである。曲の途中でTOSHI-LOWがステージ袖に向かってしまったと思ったら、腕を引いて連れ出してきたのが、ソウル・フラワー・ファミリーの一員にして現YOCOLOCO BAND/元メスカリン・ドライブのうつみようこ! もちろん彼女もコーラスで参加。ちなみに『カムイ・イピリマ』で主にリード・ヴォーカルを務めていたのもこの人。ようこちゃんがSFUのステージに立ったの、久しぶりに観た。TOSHI-LOW、超グッジョブである。

ダブル・アンコールまで行われ、2組で占めて3時間半。SFUだけでも2時間という、ほとんどワンマンのフル・セットみたいなパフォーマンス。想像以上に熱い思いが交わって放たれた、素晴らしい共演であった。次回『闇鍋音楽祭』はいよいよファイナル、3/26(月)の福島・いわき club SONICにて、ゲストはLikkle Mai! こちらも凄い一夜になりそうだ。(小池宏和)
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