ヒップホップ史上初のヒット・シングルとなった"ラッパーズ・ディライト"で知られるシュガーヒル・ギャングのビッグ・バンク・ハンクが11月11日に他界した。腎臓がんを患っていたといい、享年58だった。
シュガーヒル・ギャングのほかの二人のメンバー、ワンダー・マイクとマスター・ジーはローリング・ストーン誌にハンクの訃報を11日の朝に知ったと明らかにしていて、次のような声明を発表している。
「兄弟の訃報を知って本当に悲しいよ。俺たち3人は"ラッパーズ・ディライト"のリリースで音楽的な歴史を作り出してみせたんだ。一緒に世界中を旅して、会場を揺らしたことをこれからもずっと忘れないよ。ビッグ・バンク、安らかにお休みください」
ニューヨークのブロンクス区出身のビッグ・バンク・ハンクことヘンリー・ジャクソンはブレイクビーツを発明したともいわれる伝説のDJ、クール・ハークと同じ高校を出ていて、ブロンクスではすでに花開いていたヒップホップ・シーンを間近に目撃しつつ青年期を迎えたことで知られている。大学卒業後、ピッツェリア・チェーンに勤務しつつ、ヒップホップ・グループ、コールド・クラッシュ・ブラザーズのマネージャーも片手間にこなしていたところ、ハンクはシュガーヒル・レコードのシルヴィア・ロビンソンにスカウトされ、急遽ワンダー・マイクとマスター・ジーと引き合されるとシュガーヒル・ギャング結成となり、即座にシングルのレコーディングとなった。レコーディングはシックの"グッド・タイムス"のカヴァーのバンド演奏にラップを被せるものになって、それがそのまま"ラッパーズ・ディライト"となったが、ほぼ1回か2回のテイクで完成したといわれている。
この曲のライムについては、ハンクがコールド・クラッシュ・ブラザーズのグランドマスター・キャズの創作ノートをレコーディングに持ち込んでいて、相当部分の言い回しを拝借しているとも指摘されている。したがって、このシングルがオリジナルなヒップホップ作品としての史上初のレコーディングかどうかについては議論の余地は相当に残るところだが、ヒットしたレコーディングとしてはヒップホップ史上初であるのは確かで、ニューヨーク以外のアメリカのリスナー、ひいては全世界のリスナーはこの曲をきっかけにして初めてラップ・ミュージックやヒップホップという存在について知ることになった。
シュガーヒル・ギャングは1985年にいったん解散したものの、その後ハンクも、あるいはワンダー・マイクとマスター・ジーの二人もシュガーヒル・ギャングとしてのパフォーマンスをそれぞれ個別に行ってきている。ただ、ワンダー・マイクとマスター・ジーの二人とハンクは85年以来袂を分かったままだったといわれている。
『ソウル・トレイン』での"ラッパーズ・ディライト"はこちらから。
