4月29日(水)に新作『ザ・マジック・ウィップ』をリリースすることを突如発表したブラーだが、グレアム・コクソンは新作を仕上げていった状況を振り返り、ポップ・ミュージックはなにも若さに縛られるべきではないと語っている。
ジ・オブザーヴァー紙の取材に応えたグレアムはアルバム制作を秘密裏に進めてきたことを次のように明らかにしている。
「最後の最後までぼくたちが口外しないでいられたことはすごくよかったんだと思うよ。作品についてはミックスとマスタリングも終えたばかりで、その2週間前にはデーモンがまだヴォーカルに取り組んでたんだからね。今回のプロセスについては発表が行われるその時までずっとデリケートなものだとわかってたし、ぼくとしてはどんな些細な危険も冒したくなかったんだ」
「毎日アルバムについていい手応えを感じながらスタジオを後にしていたんだよ。レコーディングの過程はぼくには一番大好きなものだしね。でもね、特にたいした作業はやってないと、外部にはそういうことばかり言わなくちゃならなかったんだよ」
また、新作があくまでもグループとしての共同作業の賜物であったことを次のように振り返っている。
「たとえ、今度のアルバム1枚限りのことだとしても、ぼくは前よりも孤独を感じていないし、前よりも繰り返していないとも思うよ。ぼくのソロ作品はあくまでもぼくだけを題材にしたものになっていたし、時にはそれがしんどくなってくることもあるんだよ。今度の作品はいい作品だってぼくは100パーセント信じてるし、いい作品にするためにできることはすべてやったと自分でもわかってるし、デーモンもできることはすべてやったとわかってて、そういう意味でほっとできる作品なんだよ」
さらにポップ・ミュージックが若者に特化されたユース・カルチャーとしてのみ縛られる必要性もないと次のように力説している。
「今時じゃたくさんのグループが復活したりするけど、だからといって世の中が喜んでくれるわけじゃないんだよね。かなりのコア・ファンでもちょっとしらけてるところもまたあるわけでね。でも、ある年齢を過ぎてしまうと人は成長や変化そのものが止まってしまうという考え方はやっぱりおかしいと思うんだよ。今はもう50年代のような、ティーンエイジャーだけの時代じゃないんだからね。ぼくはいつも年老いたブルースマンが80歳になってもいつまでも活動を続けて子供も元気に作っていることとか、そういうのっていいなと思っちゃうんだよね。同じようにポップ・ミュージックも、一過性ではかない、年齢に縛られたものでなきゃならないわけはないんだよ」
ブラーは2013年の3月からツアーに乗り出し、5月には来日も予定していたが参加フェスティヴァルが中止になったため、その前の公演地の香港で急遽、作品の制作に入り、レコーディングを行ったと伝えられていた。グレアムは、この時香港で制作した音源が新作リリース実現への大きなきっかけとなったと語っている。
「香港でのレコーディングについては、しょっちゅう考えてて、どれだけいい感じだったか、それを思い出すばっかりでね。あの時の音源をもう一回見直さなかったら、もう自分のことを一生許せなかったはずだよ」と説明するグレアムは、デーモンの勧めにしたがってスティーヴン・ストリートとこの時の音源を聴き直し、デーモンの音楽的な意図を汲み取っていったという。実際、デーモンとグレアムとの間の音楽的意思疎通は阿吽の域に達しているとグレアムは次のように説明している。
「ぼくたちの間のコミュニケーションはもうテレパシーと言えるところまで達してるんだよ。それにぼくはぼくが思うデーモンが追っているものを音として解釈していくという役割で充分納得しているんだ。時には間違えるけど、時には間違えない。香港で制作したサウンドについてはすごく大切にしたいと思ったし、音源を組み直していろいろ加味していく時にもいろんなフレーズを繰り返し使うように気をつけたんだ。ぼくとしては音楽的環境を変えながらも、そうした音楽的文脈はしっかり保つようにしたかったんだ。そうやって本当に多くのことを学習することになったんだよ」
「ブラーっていうのは、わりとヒエラルキーが決まっているとぼくは思っていて、時々ぼくは自分の居場所とかなにをやるべきなのかとか、わからなくなってくるんだ。でも、今回のレコーディングにぼくが手を入れて、デーモンの肩の荷を軽くすることをデーモンはすごく喜んだんだよね。でも、節目節目ではいつもデーモンのことを考えなきゃならなかったよね」
また、グレアムのまとめた香港での音源を耳にして、それを捨てやることができなくなったとデーモンが口にしたことをグレアムは「まあ、よかったんじゃない」と語っている。その後、デーモンは香港へ戻って歌詞の仕上げに専念したというが、その結果、出来上がった歌詞はグレアムの香港についての「SF的な」印象と同調するものだったとか。
「あの5日間で制作したサウンドは地下鉄と街頭の音が浸み出してくるようなものなんだ。電気も違うし、空気も違うし、スタジオもすごい狭い部屋にみんなで寄り集まって気合いを入れて作業を続けたことでかなり熱気が籠ることになったんだよね。それにいつも揃えてる楽器も手元になかったからね。ぼくはツアーのギター・テクニシャンのスティーヴが用意してくれた新しいストラトキャスターを試してたんだ。すごく直感的で、開かれた状況にあったから、あらゆるものがぼくたちのやってることに染み込んできてたんだよ」