【コラム】SAKEROCKはなぜあんなに「歌って」いたのか?――解散に寄せて考えた

【コラム】SAKEROCKはなぜあんなに「歌って」いたのか?――解散に寄せて考えた

言うまでもなく、SAKEROCKはインストバンドである。で、誰が聴いても明らかなように、SAKEROCKのやっているインストは、他に類がない。ジャンル的に、既存のインストのどこにもあてはまらない。スカじゃない。ファンクじゃない。ダブじゃない。フュージョンじゃない。ジャズじゃない。マンボでも、ジンタでも、昭和歌謡のバックトラックでもない。もちろんいわゆるポストロックとかでもない。ここまで書いた「じゃない」音楽のうち、かなり多くの要素がSAKEROCKのルーツになっていることは聴いてとれるのだが、ずばりそのままなものは、ひとつとしてない。
では、なんでそんな音楽になったのか。SAKEROCKのインストと、他のインストの、何がいちばん違うのか。
メロディではないか。
たとえば。インストバンドが歌ものの曲もやるのは、普通なことだ。東京スカパラダイスオーケストラ然り、SPECIAL OTHERS然り。ただし、インストの曲と歌が乗る曲のメロディって、「インスト用」「歌う用」というふうに、普通作り分けられているものだ。あたりまえだがインスト用の主旋律は、ギターやキーボードやホーンなどの楽器で弾くこと(吹くこと)を念頭において作られているわけで、歌うために作られたものではない。ゆえに、それに歌詞をのっけて歌おうとすると、なんだかおかしなことになる。
たとえばT-SQUAREの“TRUTH”、あのF1のテーマ曲、あるでしょ。あれに適当に歌詞をのっけて歌ってみてください。どうでしょう。ギャグにしかならないでしょう。
もっとわかりやすいのが、スカパラもカヴァーしている“ルパン三世のテーマ”。歌付きバージョンも有名だが、最初にそれを聴いた時は、すごい違和感を覚えたものです。特にサビあとの《孤独な笑みを 夕陽にさらして / 背中で泣いてる 男の美学》あたりが。「♪びーがくー」って。あれも、最初にインストとして大野雄二が書いたものに、あとから歌詞をのっけたからそうなったのでは、と思う。

しかし。SAKEROCKの曲は、あのホーンの、ギターの、マリンバの代わりに歌をのっけても成立するような作りになっていることが、多くないだろうか。
もちろん例外はある。たとえばハマケンの書いた曲は比較的「インスト曲の主旋律のマナー」にのっとって書かれている感じがする。彼は高校時代はブラスバンド部で大学ではジャズ研、つまりインストの王道を学んできた人なので、そうなのかもしれない。
だが、特に星野 源の曲に関しては、「歌うメロディ」と「弾く(吹く)メロディ」の境目がない。というか、基本的に歌うメロディを作っているのではないかと感じる。楽器で歌っている、というか。そういえば2006 年のアルバム『songs of instrumental』(今気づいたけどこれなんてタイトルからしてそのままだ)のメンバーによる全曲解説の中で、伊藤大地は「星野の曲にはいつも詩がついているのですよ。だから一粒で二度おいしい」という発言をしている。そうなのか。そうだったのか、やはり。っておまえ、そのへん全部読んでからこの原稿書いてるだろ、と疑われてしかるべきだが、すみません、今の今まで忘れてました。今、このアナログ盤をひっぱり出して聴きながら書いていて、何年ぶりかに解説を読み直して気づいたところです。

もともと歌として成立する曲を作っていて、ソロで自分で歌い始めたからSAKEROCKをやる必要がなくなった、だから解散した、なんてアホなことを言いたいわけではない。そんな理由で解散したのではない。というか、もし仮にそうであっても、SAKEROCKを続ける方法はいくらでもあったと思うし。
ただ、解散を機にSAKEROCKのオリジナリティはなんだったのかをちゃんと考えたい、考えた、そしたらこういう話になった、というテキストでした。

なお、『songs of instrumental』の1曲目は “インストバンドの唄”で、ハナレグミが歌っている。ラスト曲は“インストバンド”、こっちは純然たるインストで、途中から“インストバンドの唄”の主旋律をハマケンが奏で始める。1曲目の問いかけにラスト曲で答えている、というわけだ。どちらも星野 源の曲。同アルバム6曲目の“スーダラ節”のカヴァーは星野 源が歌っているのに“インストバンドの唄”はハナレグミに依頼しているところに、当時のSAKEROCKの思い、星野 源の思いを、何か感じる気がします。(兵庫慎司)
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