6月23日に『OKコンピューター』の20周年記念盤『OK COMPUTER OKNOTOK 1997 2017』をリリースするレディオヘッドだが、「ローリング・ストーン」誌の取材でバンドの始まりから『OKコンピューター』に至るまでの道程を詳細に語っていた。
同取材において、更にメンバーとナイジェル・ゴドリッチが収録曲全曲について内容を詳しく解説している。
1. "Airbag"
トム・ヨークは「当時ぼくはものすごく車に乗るのが怖かったんだけど、"Airbag"はまるでその逆の内容になってたんだよね」と明かしている。
「たとえば、交通事故とか、かなり破滅的な状況になりかねない事態に巻き込まれて、それでも無事だったりすると、それがどういうことだったとしても、それ以前より何千倍も生きてる実感が湧いてくるものなんだよね。そういうことを歌った曲だったんだよ。それと(R.E.M.の)マイケル・スタイプの歌詞の書き方を自分なりに実験してもいたんだ。ちょっとナンセンスというか支離滅裂なものを書き続けて、それをひとつにしていくと、それが積み重なってなにかしらの表現になり始めるっていうね」
2. "Paranoid Android"
トムは「50パーセントが(クイーンの)"Bohemian Rhapsody"で、もちろん、あれだけの声を重ねられればって話だけど、そして、残り50パーセントが(ザ・ビートルズの)"Happiness Is a Warm Gun"っていうつもりの曲だったんだ」と説明している。
3. "Subterranean Homesick Alien"
トムは「これは(映画の)『未知との遭遇』みたいだった」と語っていて、ジョニー・グリーンウッドはレコーディング中にトムが素晴らしいギターを数小節分弾いたが、誤ってその音源を消してしまい、最終的に作品になった音源は限りなくそれに近いものだがその時の演奏には及ばないと明かしている。
4. "Exit Music (For a Film)"
バズ・ラーマン監督から映画『ロミオ+ジュリエット』用に依頼されて書いたことで知られており、最終的に映画のエンディングで使われたが、映画のサントラ盤には収録されていない。
当時の様子をトムは次のように振り返っている。
「バズ・ラーマンから映画のシーンをふたつ送ってもらったんだよ。ひとつはふたりが水槽のところで出会うシーンで、もうひとつ送ってもらったものについてはもう思い出せないんだ。それで、ある方向に書き始めた曲が半分ほど出来上がって、そうしたら、ジョニー・キャッシュの刑務所もの(ライブ・アルバムの『アット・フォルサム・プリズン』)にはまっちゃんただよね)」
その一方でプロデューサーのナイジェル・ゴドリッチは当時のバンドのリスニング趣向を次のように回想している。
「『アット・フォルサム・プリズン』はみんなでよく聴いたね。"Exit Music"の冒頭では声がものすごく大きく聴こえるんだけど、あれはジョニー・キャッシュからの影響なんだよ。それとレミー・ゼロ(レディオヘッドのアメリカ・ツアーの前座を務めてデビューを果たしたバンド)もよく聴いてたな。コリン(・グリーンウッド)がすごくはまってたんだ。それと(ザ・ビーチ・ボーイズの)『ペット・サウンズ』もね」
5. "Let Down"
トムは「泡の中に閉じ込められて自分の前をいろんなものを通り過ぎていくのを眺めている心境」を描いたものだと説明している。『ザ・ベンズ』の大ヒットでツアーに明け暮れ、世の中から隔絶された気分になっていた頃のことで、「飛行機やバスの移動だけで時間をずっと過ごしているとやがて"Let Down"みたいな気分になってくるんだよ」と語っている。
6. "Karma Police"
ジョニーはレコーディングをやり直した曲だと明かしていて、デモ音源とリハーサル音源を聴き直して「『こっちの方がましだな。やっぱりこうしようよ』ってなったんだよ。それで、それまでに決めたことは全部やめてしまったんだけど、こういうことをぼくたちは時々やるんだよね」と説明している。
さらに「曲の最後の方の、高い声のレコーディング作業を特によく思い出すな。音程が変わっていくボーカルで、あれはザ・スミスへのオマージュだったのかなと思うよ」と振り返っている。
7. "Fitter Happier"
ナイジェルはレコーディング現場で使っていたマックの音声機能に閃いたトムがその音声を模した台詞をレコーディングし、ナイジェルとジョニーでサウンドを重ねていったことを振り返っている。
歌詞の結末となる「抗生物質漬けの檻の中の豚」というのは本で読んだイメージで、それをただ朗読することを思いついたのだとトムは語っている。
「農業について本を読んだのなんてあれが初めてだったんだ。食肉を買うまでの間にぼくたちは豚を抗生物質漬けにしていて、それがぼくたちの血の中にもめぐってぼくたちも抗生物質への耐性がつく」といった内容の本だったと説明している。
8. "Electioneering"
トムは「当時はトニー・ブレア政権が成立して楽観的なムードに包まれてたんだけど、かなりの部分が利己的な期待感だったんだよ。当時はいい映画もいくつか作られたし、いい音楽作品もいくつかは出てきたけどね」と当時を振り返っていて、次のように回想している。
「イギリスでほんのわずかの間だけど、政治家が政治を自己利益のための道具、もしくは投資のための道具として初めて使わなくなるって兆しが存在したんだよ。でも、数か月のうちにそんなことは起きないって明らかになったんだ」
9. "Climbing Up the Walls"
トムはもともと自分は小さな村にある精神障害者施設で働いたことがあり、その関係からからある時、家庭内での殺人事件で明らかに犯人の精神状態がまともでなかったという事件を新聞で読み、ある時点でまで普通に生きていたのがある日突然取り返しのつかないことをやってしまうのはどうしてなのかと気になってしようがなくなったと語っている。さらに次のように説明している。
「これは誰もがまともな手当てや対応をしてもらっていないという文脈でのものなんだ。たとえば、あの頃、鬱は誰もが経験するようなものとして語られていて『ああ、それはただの鬱だよ』っていう扱いだったんだよね。でも、今はそれがまた別な事態を引き起こしていくわけで、誰かが心を病んじゃうと、本人や周囲の人たちにも危険を及ぼすこともありうるってことにもなっちゃうんだよね。この曲を今聴くと特にそういうことを考えるよ」
10. "No Surprises"
トムは「あの曲は気分が滅入ってくるようなバスでの移動の間に書いたんだよ。2時間くらい、典型的なイギリスの年金受給者の高齢者に囲まれてバスに乗り続けることになったんだ」と回想している。
自分たちを代弁していないから政府を引きずりおろせというフレーズが今も大きな歓声を呼ぶ曲だが、もともとそういう政治的な意図をもって書いた曲ではなく、そのバスでの光景を見て感じた「なぜぼくたちは放置されたまま朽ち果てることになってるんだ? 民主主義国家なら助けてもらえるはずだ。でも、なぜ助けてもらえないのか」という疑問を曲にしただけだったと語っている。
11. "Lucky"
1995年に戦災被害を受けた児童の支援団体「ウォー・チャイルド」のために制作された曲だ。ツアー中にレコーディングされたもので「5時間で済ませた」とナイジェルは語っている。その後、アルバム収録にあたってミックスをやり直すことも考えたが、バンドはそのままでいいと判断したとナイジェルは明らかにしていて、この曲を制作した日が「『OKコンピューター』の本当の始まりだった」と振り返っている。
12. "The Tourist"
ジョニーが弾いていた、ゆったりとしたリフに、自分たちも歩みの速さを落とすべきだという内容を歌ったものだとトムは振り返っていて、その理由について次のように説明している。
「ぼくたちは旅してて、そして絶え間なく旅を続けてたんだ。いつまでもいつまでもね。すべてがどれだけ速く移動できるかということだった。すべてが目まぐるしい速さで動いてたんだよ。座って窓から外を眺めてるんだけどあまりにも速くて目の前を通り過ぎていくものがなにひとつとして見えないっていう心境だったんだ」
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