ジェームス・マーフィー、LCD解散時は「プロレスをやらされてる気分だった」と語る
2017.09.05 16:10
9月1日に新作『アメリカン・ドリーム』をリリースし、今月からヨーロッパ・ツアーに乗り出すLCDサウンドシステムだが、ジェームス・マーフィーが2011年の解散の時に抱いていた違和感について語っている。
ジェームスは別のインタビューでも解散前最後の公演のチケットを売り切るために解散したという主旨の発言をしていたが、今回は英「The Guardian」に対して再び解散の裏側を語っている。
「あの時ぼくたちは追い込まれてた。特にアメリカでは、前のアルバムと似たようなアルバムを作った上で、売上はもっと上げなくちゃならないってことになってたんだ。ぼくとしてはそれが本当に悲しかった。気分が悪くなってくるようなことだったんだよね。決まりごとをなぞってるみたいで、もはやプロレスみたいに出来レースだなっていうね。
だから、そうなったらもうめちゃくちゃにやるしかないって気がしてきたんだ。『お前ら全員ファック・ユー』っていうアルバムを作るとか、そういうね。でも、アーティストが自らを無理矢理破壊していくようなことをあえてやるなんて、それほど作為的なものはない。だから、一番潔くて誠実なのは、そもそもやらないってことだと思ったんだ」
その後さまざまな心境の変化があり、LCDのメンバーとまた活動していくことを決意したが、ファンによってはそれが許せないことだというのもよくわかっていたとジェームスは次のように語っている。
「このバンドが本当に好きだった人たちがどれだけ腹を立てるか、そこをよく分かってなかったんだ。ぼくもまたバンドを聴いて育ってきた人間だし、自分の好きなバンドがどういう存在で、メンバーがどういう関係にあって、ファンとどう接しているかなどといったことに取り憑かれて生きてきたんだよね。だから、ザ・キュアーからローレンス・トルハーストが脱退したなんていうのはぼくには大事件だったんだ。ぼくはあの時、本当に傷ついたから。そういう人たちに向けて、ぼくはこのバンドをやってたんだよ。
そして、その中の一部の人たちは、今回のことで傷ついたんだよね。それはその人たちにとってLCDサウンドシステムがそれだけかけがえのないものだったということを示していることだし、バンドに自分を重ねてくれていたってことなんだよ。だから、そういう人たちに対してはすまないと思ったし、ぼく自身も悲しかった」
また、LCDサウンドシステムが解散していた間はアーケイド・ファイアのプロデュースを手がけ、デヴィッド・ボウイの『★(ブラックスター)』へのプロデューサーとしての参加も呼びかけられたものの、結局、パーカッションで1曲のみ参加し、コード進行をひとつ提案しただけで身を引いたわけを次のように説明している。
「まあ、デヴィッド・ボウイの曲でぼくがコード進行をひとつ提案するなんていう大それたことまでやったんだから、もういいかと思ってね。これでもうお土産は充分だろと。あの状況で自分から退いたのは、自分に自信がなかったからっていうことじゃないんだ。
でも、ああいう状況でぼくは仕事ができないんだよ。別に柔軟性に欠けてるわけでもないし、頑固になってるわけでもないんだ。ただ、ぼくの仕事環境はああいうものじゃないんだ。ぼくにはプロデュースはできないんだよ。ぼくのプロデュース人生はもう終わったと思う。ぼくにはできないんだ」