BRAHMAN『今夜/ナミノウタゲ』はTOSHI-LOWがMCを始めた以来の大転機

BRAHMAN『今夜/ナミノウタゲ』はTOSHI-LOWがMCを始めた以来の大転機
2曲それぞれ映画『あゝ、荒野』『生きる街』の主題歌であることも話題になっている、昨日リリースされたBRAHMANのニューシングル『今夜/ナミノウタゲ』を聴いて、彼らの音楽をずっと聴き続けてきた身としても、いや、ずっと聴き続けてきた身だからこそ驚いた。
BRAHMANは、伝えたいことの本質がブレないように、メロディ、アレンジ、演奏、言葉、パフォーマンス、そしてパッケージデザインやプロモーション方法に至るまで、強烈な肉体性の宿るもの以外すべてを削ぎ落としてきたバンドである。
そんな彼らの一貫性のある活動の歴史における、これまでで最大の転機は東日本大震災を経てTOSHI-LOWが饒舌にMCを始めたことだろう。
時期を同じくして日本語詞で新曲の歌詞を紡ぐようになったことも大きな転機だと言えるかもしれないが、表現としてのアプローチそのものは英語でも日本語でも一貫しており、それが大転換だとは、僕には思えなかった。
それよりも僕は、どうせ喋るならば伝えたいことの本質がブレないように、強烈な肉体性が宿るまで徹底的に研ぎすませた怒りと笑いと哀しみと優しさを込めて言葉を重ねるTOSHI-LOWのMCの方が大転換だと感じていた。

しかし“今夜”と“ナミノウタゲ”においては、楽曲そのものにBRAHMANの歴史上最大の転換が起きていると感じた。

《胸を張って 上を向いて 歩いてこれたなら/たぶん僕ら 出逢ってないよ》(“今夜”)
《泣かず飛ばすの夢/響かぬ愛と嘘/弾けて消えたこんな日が来るんだね》(“ナミノウタゲ”)

彼らが最も情緒的表現を削ぎ落とすことで聴き手の魂を揺さぶった作品がセカンドアルバム『A FORLORN HOPE』だとすると、このシングルは、どうせ情緒がそこに滲むならばすべての音に自分たちのすべてを曝け出して、嘘の宿る隙のないくらい情緒的表現で満たした、そんな作品である。

音楽を鏡にして自分たちと向き合い続けた答として新たな扉を開き、肉体的な絶頂期と同じぐらいの強さで、しかし正反対の方向に振り切ったやり方で、僕たちの魂を今もこんなにも揺さぶるBRAHMANというバンドの信念の尊さに改めてやられてしまった。(古河晋)
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