自然死であったという。
マンソンは自身のカルト集団に指示して1969年に映画監督ロマン・ポランスキーの妻で子供を宿していた女優のシャロン・テートをロサンゼルスの自宅で襲撃させ、居合わせたほか4名の友人らも惨殺、さらに別件で2名を殺害させる事件を犯した。その後逮捕され、極刑に処されたが、カリフォルニア州で死刑制度が廃止されたため、終身刑に服していた。
マンソンの死に対し、マリリン・マンソンが自身のSNSで反応。チャールズ・マンソンがカバーを飾った「Life」誌の雑誌ロゴを「LIE(嘘)」に変えた写真とともに、チャールズ・マンソンが1970年にリリースした楽曲“Sick City”を自らカバーした音源のリンクを投稿している。