結成40周年を迎えるザ・キュアー、バンド名の変遷を振り返る。「ザ・キュアー」に落ち着いた経緯とは?

結成40周年を迎えるザ・キュアー、バンド名の変遷を振り返る。「ザ・キュアー」に落ち着いた経緯とは?

今年で結成40周年を迎えるザ・キュアーだが、そのバンド名のネーミングの経緯を英メディア「Radio X」が紹介している。

バンドの母体はロバート・スミスの中学の頃からの同級生、ロル・トルハーストと組んだユニットで、メンバーや音楽スタイルの変遷を経てオベリスク(The Obelisk)、マリス(Malice)といった名前を掲げてきた。

マリスとしては1976年に初ライブを行ったが、その後パンク・ロックの勃発に影響されて再びバンド名を変えることになったという。

この時のことを、ロルは自身の回想本『Cured: The Tale of Two Imaginary Boys』で次のように振り返っている。

ロバートは(デヴィッド・)ボウイや(作家の)ウィリアム・バロウズがやっていた、自分たちが書き綴った文章をいったん単語ごとにはさみで切り刻んで、ばらばらになったものを無作為に繋げ、それを文章や歌詞にしていくという手法をどこかで見たみたいでね。

それに影響されて、ぼくたちも自分たちの歌詞をすべて切り刻んで帽子に入れていったんだ。それでその中から最初につまみだした紙切れに綴られてある言葉をバンド名にしようってことになった。すごく民主的で、それと同時にパンキッシュな決め方だと思えたんだよ。


その結果、出てきたフレーズはロルとロバートで共作した歌詞からの「イージー・キュアー(Easy Cure)」というもので、ロバートは不満ながらもバンド名は一旦イージー・キュアーに決定した。

また、これを機にロバートがリード・ボーカルとギターを担当することになり、ロルはドラム、ポール・トンプソンがギター、マイケル・デンプシーがベースというラインナップも決定した。

翌1977年、イージー・キュアーは、大ヒット曲“Rasputin”で知られるドイツのユーロ・ディスコ・ユニット、ボニーMを手がけていたHansa Recordsと懸命にレコード契約の交渉を続けたが、当時制作していた“Killing an Arab”などの楽曲の方向をめぐって最終的に決裂。

さらに、ポール・トンプソンのギター・ロック的な演奏スタイルがポスト・パンクへと傾倒するロバートの楽曲スタイルと合わなくなったことから、ポールはグループから追いやられることになった。

そうして3人組となったバンドは、バンド名を「ザ・キュアー」と改名。この経緯を、ロバートはバンドの公式伝記『The Cure: Ten Imaginary Years』にて次のように説明している。

ぼくとしてはずっと、イージー・キュアーっていう名前がヒッピーっぽくてダサいなと思ってて。なんかアメリカンな感じだし、西海岸的な感じがするから実は大っ嫌いで。でもロルが考えたフレーズだったから、ロルはそのことですごく機嫌を損ねたんだよね」

でも、ぼくたちが好きだったグループはどのバンドも頭に「ザ・~」が付く名前だったし、イージー・キュアーっていうのも語感としてバカみたいな名前だったから。だったら「ザ・キュアー」にしようってことになったんだ。

昔からのファンはちょっと嫌がったようだったけど、ぼくとしては、ザ・キュアーっていう語感の方がもっとそれらしいじゃんって思ったんだよね。


ザ・キュアーに落ち着いたバンドは、制作したデモ音源を懸命にレーベルに送り続けた結果、1978年にポリドール・レコード傘下のフィクション・レコードと契約。すぐに1stシングル“Killing an Arab”のリリースが決まった。


なお、バンドは6月にロンドンのサウスバンク・センターにて開催される、ロバート・スミスがキュレーターを務める「Meltdown Festival」に出演するほか、7月にはハイドパークで開催される「British Summer Time」にて40周年記念公演を行うことが決定している。
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