RADWIMPSの新曲“カタルシスト”の浄化作用とは? フル音源を『SOL!』で聴いた

『カタルシスト』通常盤
5月23日放送のTOKYO FM/JFN38局『SCHOOL OF LOCK!』にて、遂にフル音源が初公開されたRADWIMPSの新曲“カタルシスト”、聴きましたか。6月6日にリリースされるニューシングルの表題曲であり、先頃にはフジテレビ系のサッカー関連番組テーマ曲として使用されることもニュースになった。

RADWIMPSは以前にも、サッカー番組のテーマ曲となった“君と羊と青”という名曲を生み出している。青春を背景に生きることのモチベーションを問いかけるような、清冽なロックソングになっていた。ところが一転、新曲“カタルシスト”は、アスリートの内面に深く入り込むようにしながら、歌うべき新たなテーマを掴み取る楽曲になった。


トレーラー映像では、己の高みを目指す向上心が晴れやかなメロディとハーモニーで歌われていたが、いよいよ明かされたこの曲の導入部が驚くべき内容だ。不穏に歪んだベースミュージック風のトラックの中で、野田洋次郎は半ばユーモラスな言葉を用いながらも、勝利を追い求める飽くなき執念をラップしている。鋭く転がり出すビートに沿って勝利への執念は英語詞のメロディ歌唱へと受け継がれ、唐突に美しい晴れ間が覗くように、あのコーラス部分へとたどり着くという構成だ。

競技開始直前のアスリートの胸に渦巻く、緊張感や不安や恐怖心、そして空元気と紙一重に滾らせる闘志を、混沌とした音像の中で描ききってみせた一曲。RADWIMPSの執念もまた、凄まじいものがある。野田は「あらゆる境界線をとり払い人々を一つに繋いでくれるサッカーという競技と、この曲が一緒に皆さんのもとに届いたら幸せに思います」とコメントしていた。なかなか表面化することのない競技者個人の心情や思考を、ありありと描き出し広く共有させるという点で、“カタルシスト”は紛れもなくRADWIMPSのポップミュージックである。

カタルシスというのは、悲しみや苦痛の共感を元に生まれる精神の浄化のことだ。芸術の分野で用いられることが多い言葉だが、苦闘の最中でときに芸術的な1点を競い、巨大な熱狂を伴うサッカーのビッグゲームにおいても、報道や評論などで用いられることがある。RADWIMPSがカタルシスを胸に抱く人=カタルシストを描くために、勝利の重圧を背負ったアスリートの内面を探ることは、「あらゆる境界線をとり払い人々を一つに繋いでくれるサッカーという競技」を伝えるためにも必要不可欠だったのだろう。凄い曲である。

この6月には、いよいよ2018FIFAワールドカップ ロシアが開幕する。スポーツの大きな祭典には、たとえば政治やビジネスが介入する問題がつきものだ。以前から取り沙汰されていた開催地ロシアの人種差別・性差別問題をはじめとして、今大会もゲームの熱狂に影を落とすノイズは少なくない。

そんなときに、競技者の内面とそれを見守る人々の心情に寄り添った“カタルシスト”は、ゲームの純粋な熱狂を支える大切な一曲として聴こえてくる。「参加することに意義がある」だとか、そんな上っ面だけの爽やかさなどいらない。ルールに基づいたゲームの中で、勝利を追い求める競技者がどれだけ培われた力を発揮し、見守る観衆がどれだけそれを分かち合うことができるか。我々が何よりも気にかけているのは、そういうことなのだから。実際のサッカー報道の中で“カタルシスト”がどのように響いてくるか、楽しみだ。(小池宏和)