来日決定のU2、当時の「ヨシュア・トゥリー・ツアー」で起こった忘れられない出来事とは? 気になる4つをご紹介

来日決定のU2、当時の「ヨシュア・トゥリー・ツアー」で起こった忘れられない出来事とは? 気になる4つをご紹介

13年ぶりとなる来日公演を12月に行うことが決定したU2だが、彼らが1987年にリリースしたアルバム『ヨシュア・トゥリー』を引っさげて行った最初の「ヨシュア・トゥリー・ツアー」にて起こった忘れられない出来事について、「Ultimate Classic Rock」がまとめている。

本記事では、いくつかあるトピックの内、4つの出来事を紹介する。

①チケット販売数全体の99.8%(計46万5千枚)を当初から売り上げ、750万ドル(※140円換算だと約10億円、今のレートなら約8億円)を超える収益を上げる大成功を収めたという。ギタリストのジ・エッジは、この時すでに過度の飽和状態を心配し、87年の「Rolling Stone」のインタビューで次のように語っていたという。

ある意味、今年はU2にとっては危険な年だ。

今や僕らはSkippyのピーナッツ・バターとかベイリーズ・アイリッシュ・クリームみたいな、どこの家庭にもあるものになってるんだ。つまり、これまでとは違う類の公共財になったということだ。



②アリゾナ州立大学のアクティビティー・センターで行なわれたツアー初日にて、ボノの声が出なくなってしまうトラブルが発生したという。「きっと日光浴しすぎたせいだ、でもみんなが一緒に歌ってくれて嬉しいよ」と彼は満員となった会場で観客に語りかけたとそうだ。

実際は1週間のリハーサルで声を出しすぎたことが原因で、4月2日のコンサートでは、ほとんどのボーカルを観客に頼らざるを得なかったという。この日について、ジ・エッジは「The New York Times」に対し「みんなが言っている通り、今夜のショウの主役はファンだった」と語ったいた。


③8月を通して開催されたヨーロッパ・ツアーでは、U2にとって初めてのアリーナ公演で、その後に行なわれた北米公演では主にスタジアムを回ることになっていたという。ツアーはあまりに規模が大きくなり、小さめのアリーナだと、過酷な複数日公演を行なわざるを得ない状況になっていたとのこと。これについて、ジ・エッジは「Rolling Stone」で次のように語っていた。

難しい判断だった。というのも僕たちはライブでは常に親密な雰囲気を作り出そうとしてきたからね。

スタジアムに関しては、そうせざるを得なかった。そうしないと、1つのアリーナにつき20公演もやらなきゃいけなくなる。それは無理だったから。

ブルース・スプリングスティーンは正気を保ったままそれをこなせるみたいだけど、僕らの場合は1つの街で6公演以上やると完全におかしなことになる。仕事みたいになってしまうんだ。



ボブ・ディランはU2にとって試金石のようなもので、彼らは長期に及んだツアーの間に“Maggie’s Farm”を9回、“I Shall Be Released”を4回、“Knnockin’ on Heaven’s Door”を2回演奏したとのこと。

そして1987年4月20日、ロサンゼルスのMemorial Sports Arenaで行なわれた5夜連続公演の3日目、特別なことが起きたという。彼らがちょうど“I Shall Be Released”の演奏を終えた時に、ディラン本人が“Knockin’ on Heaven’s Door”の演奏に加わった。ボノがステージで「ボブ・ディランの曲をやる時はいつも自分で歌詞をでっち上げるんだ。彼は別に気にしないって言ってる」とジョークを飛ばすと、ディランもこれに乗っかり、「俺も同じことをやるよ」と応じたという。

残りのエピソードは「Ultimate Classic Rock」のサイトにて確認できる。
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