いつまでも続くようなグルーヴ、揺れるダンスフロア。あの場所でしか味わえないちょっと懐かしいような高揚感と開放感を、この曲の[ALEXANDROS]は完璧に表現している。終わりを知ることなく、音楽も話も止まらない一夜。しかし、そんな居心地のよいグルーヴにのせて彼らがこの曲で描こうとしているのは、単に楽しくて気持ちいいパーティの情景だけではない。むしろこの曲で川上洋平(Vo・G)がフォーカスしているのは、その裏側にある刹那、そしてそのなかを生きていく人間の姿である。
「刹那」という言葉にはどこか物悲しいニュアンスがある。何かが消えていく、何かが終わっていくというイメージとセットだからだ。しかし“あまりにも素敵な夜だから”は、その刹那をただ儚く消えていくものとしてではなく、人間一人ひとりに刻まれる《傷》となってその人を形作っていくものとして描き出していく。
《Wake up/Saturday in a park》――踊り明かした朝、主人公が公園で目を覚ますところから“あまりにも素敵な夜だから”の歌詞ははじまる。思い当たる人も多いだろうが、夜通し遊んだ後にやってくる、あの倦怠感とくすぶった高揚感のような感覚は独特のものだ。それをこの曲の冒頭は思い出させる。しかし――となれば、そこにまとわりつく感情は「後悔」だったり「喪失感」だったりするのが普通だが、川上の歌詞は決してそんな安易なところには着地しない。それどころか主人公の口を借りて《どうした?/私はまだ/こんなとこで終われない》とまで歌う。ここにこの曲のもつメッセージがある。
楽しい夜もいつかは終わる。翌朝にはすべてを失って公園に寝転がっているようなこともある。しかし、だからこそ、今にすべてを注ぎ込むんだ――僕にはこの曲がそう言っているように聞こえる。2番のサビで川上は《瞬きほどの命だから》と、ダンスフロアの刹那に人生を重ねてみせる。だからこそ間違っていようが《揚げ足》を取られようが《ありのままで足掻》け。彼はいつものようにストレートに、この曲に込められたテーマを伝えてくる。
そう考えれば、《あまりにも素敵な夜だから》という曲名にもなっているサビのフレーズが(夜が明けたあとから曲が始まるにもかかわらず)なぜ現在形なのかの意味もわかるだろう。たくさんの《傷》を負いながら果てるまで踊る《あまりにも素敵な夜》。それを続けていくことがつまり生きることなのだと、この曲は叫んでいるのだ。《あたりまえじゃない今だけは/No, No, No, Don't need to go back/このまま、踊り果てるよ》。後悔も喪失感も全部飲み込んでこの刹那を踊る。それは大げさにいえば川上洋平の人生観であり、[ALEXANDROS]というロックバンドの矜持でもあるのだと思う。(小川智宏)