小沢健二を初めて身近に感じた豊洲PITでの特別な夜について

小沢健二を初めて身近に感じた豊洲PITでの特別な夜について
1995年冬に生まれた私は、過去の音源やネットに散らばった情報をかき集めることでしか、小沢健二を捉えることができなかった。
初めて観た2016年のツアーでは、小沢健二が実在していることにただただ感動し、2018年の武道館ライブでは、一流ミュージシャンばかりの大編成バンドを引き連れて堂々と歌う姿に圧倒的なオーラを感じた。自分にとっては雲の上の存在だった。

昨夜の豊洲PITのライブでは、そんな小沢健二を初めて身近に感じることができた気がしている。
ライブの冒頭、「歌詞はリスナーに届いて初めて本当の歌詞になる」、「歌詞を書くことは種を蒔くこと」と話していた。こんなにも受け手を意識していることを、本人の口から聞けるとは思っていなかった。
それだけではない。ライブ中にスチャダラパーが登場したこと(豊洲公演のみのサプライズ!)を観客にツイートさせてタイムラインにいる人を驚かせようとか、“彗星”の演奏を録画してライブに来れなかった人に届けようとか、私たちと同じ目線でライブを楽しもうとしていた。今回のライブが、ギター、ベース、ドラムスのシンプルな編成で行われたのも、曲作りの段階に近い編成である原点を見てもらいたいという思いがあったから。
そして、何度も「豊洲!」と呼びかけて大合唱したり、気が済むまで同じ部分を繰り返し歌い続けたり、ときには間奏のホーンパートまで歌ったり、観客全員をもれなく引き入れながら音楽の力が渦を巻いていた。
自由に楽しそうに、ギターをかき鳴らしながら歌う姿は、観ていて高揚すると同時に安心もする。いつまで音楽を続けてくれるんだろうかとか、そういう邪推が入る余地はもはやない。今ここで一緒に音楽を楽しんでいる。それが全て。

だからもう、日常に帰ってきても悲しくなんかない。オザケンが蒔いた種が、私たちの生活の中でもう芽吹き始めているから。(有本早季)
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