音楽界きっての奇人プロデューサー、フィル・スペクターが1月16日亡くなった。新型コロナウイルス感染の合併症が死因だが、病院に運ばれたのが刑務所の独房から。というのも03年に女優のガールフレンドを射殺し、禁錮19年の刑で収監されていたもので、その決定的な事件以前からドラッグ中毒、スタジオでピストルを振り回したりと奇行伝説は数知れず。それでいながらスポイルされきらなかったのは、60年代に彼が生み出した「ウォール・オブ・サウンド」が与えた影響が強大だったからで、ザ・ロネッツの“ビー・マイ・ベイビー”やライチャス・ブラザーズの“ふられた気持”などに代表される分厚いサウンドは独特なもの。各楽器を複数、ユニゾンで弾かせることにより音量、音圧を上げ、基本的にはワン・トラックの一発録音というもので、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンを始め多くの人がそのマジックに衝撃を受けた。
彼の有数の研究家であった大瀧詠一は「もし、ザ・ビートルズの登場がなければ60年代のNo.1のポップス・ヒーローになり得た人でした。しかし、ビートルズの活躍があまりに強烈すぎたために、スペクターの影は薄くなってしまいましたが、実は彼の功績を一番認めていたのは他ならぬビートルズの連中だったともいえるようです」とスペクター本『フィル・スペクター 甦る伝説』に寄稿している。
確かに彼らが一度放り出したテープを『レット・イット・ビー』にまとめさせたり、ジョン・レノンやジョージ・ハリスンが共同プロデューサーに起用したり、とくにジョンはスペクターがシンガーとして組んでいたテディ・ベアーズのヒット曲をカバーしたりもしているが、しかし、70年代以降のスペクターはドラッグ問題も根深く、共同プロデューサーに起用した『ロックン・ロール』ではマスター・テープ持ち去り事件を起こすなどトラブル続きで期待に応えることは出来なかった。
かつて妻であり、暴力などで本当にひどいめにあっていたロネッツのロニー・スペクターが「He Was A Brilliant Producer, But A Lousy Husband(優秀なプロデューサーだったが、最低な夫だった)」と哀悼メッセージを寄せている。享年81。R.I.P.(大鷹俊一)
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