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ミッチ・ミッチェル(ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス)
ジミ・ヘンドリックスのあまりに巨大な才能に隠れてしまうことが多いのが、ミッチ・ミッチェルのドラムだ。もともとジャズ・ドラマーを目指していたミッチのドラムは圧倒的なテクニックに支えられながらも、パフォーマンスそのものはどこまでもフットワークが軽く、変幻自在な展開を叩きつけていくジミの演奏には必要不可欠な存在だった。ジミとの付き合いは彼が66年にイギリスに渡った時からのもので、ジ・エクスペリエンスとなる新バンドのオーディションに勝ち残ったのがミッチだった。オーディションは最終的にミッチとエインズリー・ダンバーのどちらかをジミが選びあぐねたため、コイン・トスでミッチに決定したのだが、特にエクスペリエンス解散後のレコーディングを追っていくと、ミッチがいかにジミにとってなくてはならない存在だったかがよくわかる(エインズリーはその後、ジョン・メイオールやフランク・ザッパらと活躍している)。
ジ・エクスペリエンスでの活動についてジミはもとから徹底的にブルースをサイケデリック・ロックとして解体していくというコンセプトで臨んでいたはずだ。なぜかというと、千載一遇のチャンスを得て新しい活動の場として訪れたイギリスはブルース・ロックが盛り上がりつつあった絶好のシーンだったからだ。もちろん、アメリカでもこうした構想を温めていたはずだが、アメリカでは黒人ミュージシャンであることで、ロック・シーンからも、R&Bシーンからも、そんなアグレッシブな実験的アプローチは実質的には許されなかったはずだ。そして、いざ自分の構想を発揮できるようになった時、自分がどれほどぶっ飛んだ演奏に突入したとしても、そのカオスの中で安定しながら自分と同じ波に乗り、スピード感の疾走するドラムを叩ける人物が必要だったわけで、それがまさにミッチだったのだ。
エクスペリエンスでの試みをやり尽くすと、ジミは方向転換を目指し、ザ・バンド・オブ・ジプシーズを結成するが、ライブのみで頓挫。その後、新しいファンク路線を模索しつつジプシーズからはベースのビリー・コックスを残し、さらに呼び戻したのがミッチだった。ジミの急死後、発表された新曲群の音源はミッチとジミの絡みが如実にわかるもので、そういう意味でもジミの死はあまりにも惜しまれるものだ。(高見展)
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