4月22日、セックス・ピストルズの元マネージャーでパンク・ロックの立役者ともいわれたマルコム・マクラレンの葬送行進がカムデンの町並みを通して行われて、遺体がハイギット霊園に収められた。ブティック経営からロック・バンドのマネージャー、そしてアーティストとめまぐるしい経歴を誇ったマルコムは4月8日にガンとの闘病の末、スイスで息を引き取った。「Too Fast to Live Too Young to Die(生きるには早すぎるし死ぬには若すぎる)」という、元はマルコムのブティックの店名でパンクを形容する有名なフレーズともなったこの言葉がマルコムの棺には刷り込まれていて、4頭の黒馬に引かれ、重厚な葬儀の装いで行進が地下鉄カムデンタウン駅付近に到着。カムデン・ハイ・ストリートの主だったところでは数百名のファンが道端に佇んで行進を見守ることでマルコムへの敬意を表し、街の店主なども仕事の手を休めては行進の行方を見守ったりしていた。葬儀馬車の前には花でいっぱいの車が走り、花文字で「Cash From Chaos」と綴られていた。また、馬車の後ろには赤と白のバラでアナーキズム・シンボルが形作られていた(大文字Aの丸囲み文字)。そこに4台の車、そしてモスグリーンの2階建バスが続いたが、バスの行く先は「Nowhere」となっていた。バスの後ろにはどんちゃん騒ぎに興じる会葬客が乗り込んでいて、さらにサウンドシステムも搭載していて、映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』にも収録されていたシド・ヴィシャスの“マイ・ウェイ”や“ロック・アラウンド・ザ・クロック”のカバーなどといったパンク・アンセムが流されていた。そのバスに大勢の見物客などが続き、レザー尽くめのパンクスがバスの後尾に飛びついては、流れる音楽と一緒に大声で歌ったりしていた。フェルディナンド・ストリートとチョーク・ファーム・ロードの角にあるモナークというライブハウスの前でバスが停車すると、会葬客はいったん全員降りて、バスは“サムシング・エルス”を鳴らしながら、その先へ進んでいったが、一部のパンクスはバスの最後尾にそのまましがみついていた。この行進の前には身内による葬儀が行われていた。先にマルコムの遺族などは、この葬儀の日の正午に「騒乱の1分間」に加わってほしいと世間に訴えて、その時だけちょっと立ち止まって好きなレコードをかけてほしいと要請していた。70年代にマルコムの妻だったヴィヴィアン・ウェストウッドの息子、ベン・ウェストウッドはNMEから葬儀について訊かれ、マルコムについてはいい思い出しかないと語った。「マルコムはぼくには本当にいい友人のような人でした。とってもやさしかったんですよ。弟(マルコムとヴィヴィアンの間に生まれたジョセフ・コーレ)はマルコムが息を引き取ると『いい旅をするんだよ』と言っていました。ぼくも同じ言葉をはなむけとしてかけてあげたいと思います。マルコム、いい旅をしてね、スターなんだからと」ベンはまた、マルコムの墓がハイギット霊園のなかでもみんなに祭られる場所になったら嬉しいと語った。「ハイギット霊園に埋葬されたのだから(ハイギット霊園には著名な作家などの墓が多い)、ジム・モリソンとかジョルジュ・ゲンスブールみたいに、みんながお参りにくるようなところになるといいなと思います」。(c) NME.COM / IPC Media 2010
マルコム・マクラレン、派手な葬送行進とともに見送られる
2010.04.23 12:19
4月22日、セックス・ピストルズの元マネージャーでパンク・ロックの立役者ともいわれたマルコム・マクラレンの葬送行進がカムデンの町並みを通して行われて、遺体がハイギット霊園に収められた。ブティック経営からロック・バンドのマネージャー、そしてアーティストとめまぐるしい経歴を誇ったマルコムは4月8日にガンとの闘病の末、スイスで息を引き取った。「Too Fast to Live Too Young to Die(生きるには早すぎるし死ぬには若すぎる)」という、元はマルコムのブティックの店名でパンクを形容する有名なフレーズともなったこの言葉がマルコムの棺には刷り込まれていて、4頭の黒馬に引かれ、重厚な葬儀の装いで行進が地下鉄カムデンタウン駅付近に到着。カムデン・ハイ・ストリートの主だったところでは数百名のファンが道端に佇んで行進を見守ることでマルコムへの敬意を表し、街の店主なども仕事の手を休めては行進の行方を見守ったりしていた。葬儀馬車の前には花でいっぱいの車が走り、花文字で「Cash From Chaos」と綴られていた。また、馬車の後ろには赤と白のバラでアナーキズム・シンボルが形作られていた(大文字Aの丸囲み文字)。そこに4台の車、そしてモスグリーンの2階建バスが続いたが、バスの行く先は「Nowhere」となっていた。バスの後ろにはどんちゃん騒ぎに興じる会葬客が乗り込んでいて、さらにサウンドシステムも搭載していて、映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』にも収録されていたシド・ヴィシャスの“マイ・ウェイ”や“ロック・アラウンド・ザ・クロック”のカバーなどといったパンク・アンセムが流されていた。そのバスに大勢の見物客などが続き、レザー尽くめのパンクスがバスの後尾に飛びついては、流れる音楽と一緒に大声で歌ったりしていた。フェルディナンド・ストリートとチョーク・ファーム・ロードの角にあるモナークというライブハウスの前でバスが停車すると、会葬客はいったん全員降りて、バスは“サムシング・エルス”を鳴らしながら、その先へ進んでいったが、一部のパンクスはバスの最後尾にそのまましがみついていた。この行進の前には身内による葬儀が行われていた。先にマルコムの遺族などは、この葬儀の日の正午に「騒乱の1分間」に加わってほしいと世間に訴えて、その時だけちょっと立ち止まって好きなレコードをかけてほしいと要請していた。70年代にマルコムの妻だったヴィヴィアン・ウェストウッドの息子、ベン・ウェストウッドはNMEから葬儀について訊かれ、マルコムについてはいい思い出しかないと語った。「マルコムはぼくには本当にいい友人のような人でした。とってもやさしかったんですよ。弟(マルコムとヴィヴィアンの間に生まれたジョセフ・コーレ)はマルコムが息を引き取ると『いい旅をするんだよ』と言っていました。ぼくも同じ言葉をはなむけとしてかけてあげたいと思います。マルコム、いい旅をしてね、スターなんだからと」ベンはまた、マルコムの墓がハイギット霊園のなかでもみんなに祭られる場所になったら嬉しいと語った。「ハイギット霊園に埋葬されたのだから(ハイギット霊園には著名な作家などの墓が多い)、ジム・モリソンとかジョルジュ・ゲンスブールみたいに、みんながお参りにくるようなところになるといいなと思います」。(c) NME.COM / IPC Media 2010