デイヴ・グロール、ニルヴァーナを1993年に1度脱退しかけていた
2011.09.26 19:30
元ニルヴァーナのドラマーだったデイヴ・グロールは1993年にカート・コバーンに自分のドラムについて陰口をたたかれたのがもとでバンドをやめかけていたことが明らかになった。
このエピソードは9月29日に刊行されるデイヴの伝記『This Is A Call: The Life and Times of Dave Grohl』に紹介されているもので、この時点ですでにバンド内の緊張関係に疲れ果てていたデイヴは、移動中の飛行機内でカートが自分のことについて語っているのを聞いて、我慢ならなくなったという。
もともとケラング!誌のライターでもあった著者のポール・ブラニガンは1993年の時点ではバンドはふたつの勢力に二分されていて、片方がデイヴとクリス・ノヴェセリック、もう片方がカートとコートニー・ラヴというものだったと説明していて、シアトルからロサンゼルスへの便で起きたこの事件によって「ニルヴァーナの核心にある病理」がデイヴには耐えられないほどのものになったと綴っている。
この本のなかでデイヴは「カートはそれなりにキマっちゃってた感じでさ。それで俺がドラマーとしていかにしょぼいかって話してたのが聞こえちゃったんだよね」と説明している。
やがて便がロスに着いた頃にデイヴは、自分が加入する前に何度かドラムを肩代わりしてくれていたマッドハニーの「ダン・ピーターズのように叩いてほしい」とカートが望んでいるとクリスから知らされ、そこで堪忍袋の緒が切れたという。そのままデイヴはツアー・マネージャーのアレックス・ミックラウドにバンドを辞めたいと申し出ることになった。
「俺はさ、音楽に専念したいだけだったんだよ。あんな頭のおかしいやりとりにかかずりあってなんかいられなかったから」
しかし、幸いミックラウドはデイヴをなだめるのに成功し、デイヴはその後もプロとしてバンドを続けていくことに承服したという。ただ、著者のブラニガンは、この時の経緯がカートの耳に入ることもなかったのではないかとしている。さらにブラニガンは1994年にカートが自殺を試みていなかったらおそらくニルヴァーナは今も活動を続けていたはずだと直感的に思うと語っているが、ただ、デイヴはいずれやめていたのではないかと推察している。
「デイヴにはニルヴァーナがカートとクリスのバンドであることはよくわかっていたはずだし、子供の頃から友達としてふたりが音楽以上の絆で結ばれているのもわかっていたはずなんですよ。だから、どこかの時点でデイヴはふたりと別れることになったんじゃないかと思うんですね」
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