ジョン・レノン、1980年の絶命前にイギリスに戻りたがっていたことが明らかに

ジョン・レノン、1980年の絶命前にイギリスに戻りたがっていたことが明らかに

ジョン・レノンは1980年に銃撃されて命を落とす前に、イギリスに戻りたがっていたことが新しく刊行された書籍で明らかにされている。

本を書いたのはザ・ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインの生涯の友人で、バンドのライヴ公演のブッキングやメンバーが自宅に帰れなくなった時の宿の手配をしていたジョー・フラナリーという人物で、今回の新刊『Standing In The Wings: The Beatles, Brian Epstein And Me』でジョーは、ジョンがニューヨークでマーク・チャップマンに銃撃される直前にジョンと交わした会話について『ザ・デイリー・エクスプレス』紙に振り返っている。

「長い会話を楽しんだよ。もちろん、くだらない話もたくさんしたんだけどね。すごく元気で満足そうだったけどリヴァプールを懐かしがっててね、他のメンバーやロンドンも懐かしがってて、あと、ある時点で『政治的』になりすぎたとも後悔していたね。ちょっとやり過ぎていい笑い者になっちゃったなと言ってたよ」

「それからまずいパイを食べたり、(ジョンが)あっちに、つまり、アメリカに行きたがっていた頃の思い出話とかもしたね。それとジョンは『ニクソンに殺られる前になんとかしてイギリスに帰る算段をつけないと』って話しててね。ぼくもちょっと驚いてどういうことなのって訊いたんだ。するとニクソン元大統領への大批判を繰り広げてね。もう大統領は辞任していたものの、ジョンはまだニクソンが権力を行使してて、自分を始末したがっていると言ってたんだよ。自分がなんかしらの形で呪われているように感じていたんだね」

ただ、こうしたジョンの発言は"平和を我等に"や"ハッピー・クリスマス (戦争は終った)"の反戦メッセージを嫌ったニクソン大統領がジョンをなんとかして国外追放処分にしようと試みていたことと関連しているのは確かで、1973年にジョンは60日以内にアメリカから国外退去するように命じられるが、その後、ウォーターゲート事件でニクソン大統領が辞任に追い込まれると退去令も覆されることになった。

また、ジョーはジョンになんとかして自分が凱旋するような形でイギリスに戻れるように根回ししてほしいとこの時の会話で頼まれたとも語っていて、次のように締め括っている。

「誰にも明らかなように、この旧友との素晴らしい会話の後、ぼくはもう心が躍るようだったよ。ただ、この会話の内容はもちろん実現されることはなかったし、ぼくは意味もなく友人をその後喪うことになったんだね」

(c) NME.COM / IPC Media 2013
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