元ディーヴォのドラマー、アラン・マイヤースが癌との闘病のすえ他界

元ディーヴォのドラマー、アラン・マイヤースが癌との闘病のすえ他界

ディーヴォの元ドラマーのアル・マイヤースが癌との闘病のすえ、6月24日に息を引き取ったと音楽サイトの「スライシング・アップ・アイ・ボールズ」が伝えている。

アランはバンドの全盛期となった1976年から86年までドラムを務め、特にヒット・シングルとなった“ホイップ・イット”、78年の『頽廃的美学論』や79年の『生存学未来編』、あるいは80年の『欲望心理学』などの作品での活躍で知られている。

アランの訃報が明らかになったのは、アランのかつてのバンド仲間のラルフ・カーニーが自身のフェイスブックで事実を明らかにしたからで、ラルフは実はザ・ブラック・キーズのパトリック・カーニーの叔父にあたる人物だという。ラルフは次のようにアランの死を明らかにしていた。

「悲しい報せを今受け取ったばかり。アラン・マイヤースが昨日癌のため息を引き取ったと。アランはディーヴォの最高峰のドラマーで、ぼくにジャズについて教えてくれた最初の人物の一人だった。泣いてしまう……」

これを受けてディーヴォのジェラルド・V・キャセールは次のようにツイッターでアランについて追悼を表明している。
「僕が10年間一緒に演奏するという恩恵に授かった最も傑出したドラマー、アラン・マイヤースを称えたい。アランをバンドから失うことは片腕を失うようなことだった。R.I.P.(ご冥福を)!! 僕はアランにどうにかしてディーヴォを辞めないでくれと頼んだんだ。でも、アランはフェアライトのデジタル・シンセや専横的な機械音楽に取って代わられていくのが耐えられなかったんだよね。だから、僕も納得したよ。アラン、きみは最高だった。人間メトロノームとして、そしてそれ以上の存在として。ボブ・マザーズボウによって実現した、一生に一度の出会いだった。きみはディーヴォでドラムを叩くために生まれたんだ!」

ディーヴォのほか、ナイン・インチ・ネイルズやア・パーフェクト・サークルなどでの活動でも知られるドラマーのジョシュ・フリースは、2010年にスピン誌に自身がドラムに手を出したのはアランに触発されてのことだったと語っていたが、次のようにツイッターで追悼を表明している。
「R.I.P.アラン・マイヤース。一番好きなプレイヤーの一人。過小評価された、傑出したドラマー。ディーヴォとかつてのアランのパートを叩かせてもらって本当に光栄だ。神の速さの人間メトロノーム」
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