ロジャー・ウォーターズらが他界したステージ・デザイナーのマーク・フィッシャーを追悼

ロジャー・ウォーターズらが他界したステージ・デザイナーのマーク・フィッシャーを追悼

6月25日に他界したピンク・フロイド、U2、ザ・ローリング・ストーンズなどの舞台を設計したステージ・デザイナーのマーク・フィッシャーを元ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズらが追悼している。

フィッシャーはU2の360°ツアーのステージや1989年以降のストーンズのツアーのステージ、ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』公演のステージのほか、ピーター・ガブリエルやティナ・ターナーらとの仕事で知られているが、先月25日にハムステッドにあるマリー・キューリーがん療養ホスピスで息を引き取っている。享年66歳だった。

ロジャーはラジオ番組『クラシック・ロック・マガジン・ショー』で次のようにフィッシャーのことを回想している。
「マークは素晴らしい人物で本当にいい友人だったよ。『ザ・ウォール』(の最初の公演)でミック・ジャガーが観に来たのをよく憶えてるんだ。すぐさま楽屋に飛んで来て、『この舞台、誰がやったんだよ? 僕も使いたいよ』って言ってきたんだ」

また、近年のロジャーの『ザ・ウォール』ツアーでも、フィッシャーと一緒に案を練ったという。
「2010年に相談に乗ってもらって本当に助かったんだ。僕としては壁をヴァーチャルなものに変えようと思ってたんだけど、マークに『いや、だめだよ、前みたいにしっかり壁は作らないと。それはやればできるはずだから、頑張ってみなよ』って釘を刺されたんだ」

ロジャーはまた、フィッシャーが首を傾けて思案している時にこそ、様々なものがフィッシャーの頭の中で猛烈に動いている時だったと回想し、自身が友人に当てたメールの内容を次のように紹介している。
「『僕は本当に悲しいよ。君と僕は、ほとんどの人間よりこれがどれだけの損失なのかということがよくわかっているはずだよ。マークはいつも僕たちのやるべきことすべてを問い直しては、よりよいものにしてくれていた。まるでアッシェズ(クリケットのイングランド代表とオーストラリア代表のシリーズ戦)をやって負ける側が出なくするようなことをマークはやってのけていたわけで、アーティスティックな技術的問題をマークが解決するとまるで雲の隙間から太陽の光が燦々と降り注ぎ始めるような心地だったよ』」

その一方でU2のマネージャーのポール・マッギネスは次のようにフィッシャーについて回想している。
「マークは本当の天才だった。要はそういうことなんだよ。ものすごいイマジネーションを持った建築家だったんだね」

「ライヴの製作に関わる人たちっていうのは、場合によってはすごく考え方が固かったりするんだ。バンドがなんか考えついたとして、それを『こんなアイディアがあるんだけど、どうやったらやれるかな?』って持ちかけてみても、『それはできないよ、そんなことやった奴なんていないんだから』ってすげなく却下されちゃったりすることがままあるんだよね。でも、マークは絶対にそうじゃなかった。みんなのとんでもないアイディアを鉄骨と材木とキャンバス地で現実にしてくれるんだよ。ぼくたちのためにもすごいものを作ってくれてたからね」

マークの事務所のスチューフィッシュでは次のようにマークの臨終を伝えている。
「マークはマリー・キューリーがん治療ホスピスにて、妻のクリスティーナに見守られながら睡眠中に安らかに息を引き取りました。長い困難な闘病生活をストイックに、果敢に、そして持ち前のユーモアでもって乗り越え続けた末のことでした」

「マークのセット・デザイナーやアート・ディレクターとしての仕事は過去25年のうちにロック・コンサートや大規模なイヴェントの様相を様変わりさせることになりました。マークは北京オリンピックの開幕式典と閉幕式典の上級デザイナーを務め、2012年のロンドン・オリンピックでは式典のエグゼキュティヴ・プロデューサーを務めた3人の1人でもありました」

「マークの仕事は一緒に働いた仲間やスタッフに影響しただけでなく、マークのデザインを味わった世界中の数百万人の観客を驚かし、楽しませることになったのです」
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