マイケル・ジャクソンの死をめぐる裁判、薬物依存について両陣営が対立


2009年に急死したマイケル・ジャクソンの死をめぐって、マイケルの遺族が興行団体のAEGを訴えている裁判で、AEGの証人として出廷した医師がマイケルは死の15年前から薬物依存症にかかっていたはずだと証言している。

マイケルは生前ロンドンで「ディス・イズ・イット」と銘打たれた長期公演を予定していて、そのリハーサルがロサンジェルスで行われていたが、公演の数週間前の2009年6月25日にマイケルは急死した。その後、死因は主治医のコンラッド・マレーから投与された麻酔薬プロポフォールの過剰服用による心不全だったことが明らかになっている。しかし、マイケルの遺族らはこのリハーサル期間中、AEGはマイケルが著しく体調を崩していることをきちんと管理することを怠り、その結果、マイケルの死に繋がったとAEGを訴えている。

今回AEG側の証人として出廷し、薬物依存に詳しいペトロス・レヴィーニス医師はマイケルの薬物依存は歴然としたものではなく、「ディス・イズ・イット」公演の準備期間中にAEGの幹部らはマイケルの薬物癖については気づいていなかったはずだと証言した。また、レヴィーニス医師は「マイケルの依存症は相当に重症で、かつて恍惚感をもたらしていた習慣が依存症に乗っ取られ、薬物中毒に苦しんでいたことは間違いないと思います」と所見を述べたという。

さらにレヴィーニス医師はマイケルとマレー医師の関係は親しすぎて、適切な治療をほどこす環境にはなかったと次のように指摘している。
「依存症にかかった患者と医師が友人関係にあるというのは問題が多いのです。患者にとっては医師に薬物を要求しやすくなりますし、提供する側にとっては断りづらくなるからです」

しかし、マイケルの遺族の弁護士らはレヴィーニス医師の証言に対して、マイケルが薬物依存に悩まされていたことは公然の事実で、1993年のデンジャラス・ツアーも鎮痛剤依存症の治療のため予定を繰り上げて中止となって、マイケルはリハビリ施設にしたことも公の事実となっていると反論し、AEG側がその事実を知らないはずはないと指摘した。

また、今月に入って証言したマイケルの元妻で看護士でもあったデビー・ロウはマイケルの「痛みへの恐怖は尋常ではなかった」と語り、「痛みに対してはまったくこらえ性がなかった」と明かしている。

こうしたマイケルの性格を逆手にとって医師らは、にきびの治療から1983年にペプシのコマーシャル用撮影で起きた火災事故でマイケルが頭皮に負った大火傷の治療に至るまで、マイケルに様々な薬物を処方したとデビーは次のように証言している。
「アスピリンで済ませられるところを塩酸ヒドロモルホン(モルヒネの一種)を処方するなんて尋常なことではありません。でも、マイケルは愚かしいほどに人を信用してしまう人だったのです」