元トーキング・ヘッズのデヴィッド・バーン、ルー・リードとの思い出の数々を振り返る

元トーキング・ヘッズのデヴィッド・バーン、ルー・リードとの思い出の数々を振り返る

10月27日に他界したルー・リードを多くのミュージシャンが偲んでいるが、元トーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンは次のように『ローリング・ストーン』誌にその思いを寄せている。

「チリの女優からメールをもらったばかりで、チリでまだ独裁政権下にあった頃、ルーの作品を聴けたことがどれほどかけがえのないことだったかと綴ってあるんだよ。生命の息吹だったと、そう彼女は書いてるんだ。これなんかはルーの影響がどれだけ広大なもので深いものだったのかを垣間見させてくれる一例だと思うんだよ。

分かりきっていることだろうけど、僕はヴェルヴェッツやその後の音楽も含めてルーの音楽の大ファンだったし、僕やトーキング・ヘッズにとっても大きな影響になってたんだよ。CBGBにも何度も僕たちのライヴを観に来てくれたし、駆け出しの頃のライヴが終わった後で僕たち3人でアッパー・イースト・サイドにあったルーの自宅にお邪魔したのもよく憶えてるよ。

ルーはひたすら語り倒すという感じで、しかもハーゲンダッツをやたらと食べ続けるんだけど、そうしながら僕たちの曲のいくつかについてヴァリエーションや調整を提案してくれたんだよ。たとえば、"テンタティヴ・ディシジョンズ"(ためらいがちな決断っていかにもルーっぽいタイトルだと思わない?)を演奏し始めたんだよ、でも、僕たちよりもずっとゆっくりした演奏だったんだ。ルーはこの曲がバラードにもなることを見せてくれながら、僕たちのアップテンポなヴァージョンよりももっともの悲しげで憂いに満ちた作品として演奏してくれたんだ。突然、この曲が"キャンディ・セッズ"、"サム・カインダ・ラヴ"、"ペイル・ブルー・アイズ"のような曲になったわけだよ。僕たちとしては恐れおののくような気分だったよね。自分たちのヒーローがこうした自分たちの曲を弾いてくれているんだからね。でも、もうその頃にはとうに夜も回って、夜も明け始めていて、僕たちもぶっ飛んでたからね。その頃の僕たち3人はまだ日中の仕事も持っていたはずだし。

その後もルーとはずっと連絡を取り合っていたよ。コンサートやニューヨークのカルチャー・イヴェントやチャリティ・イヴェントで顔を合わせることもよくあったしね。僕としては『マジック・アンド・ロス』がどれほど果敢で(なおかつアーティスティックに成功した)作品だったかと、これがよく思い出されるね。それと舞台監督のロバート・ウィルソンとの演劇でのコラボレーションがどれほどうまくいったことかとかね。僕も同じような試みをしたことがあるから、これがどれほど煩雑な作業だったかよくわかるんだ。

最近ではルーとローリー(・アンダーソン)とで顔を合わせることが多くて、一緒に食事したり、コンサートで出くわしたりすることが多かったね。ルーとローリーは新人アーティストやバンドやあらゆるパフォーマンスなど、常にチェックしてたからね。こういうところもまた僕には触発されるところがあったな。クリエイティヴな人間っていうのは、ある程度の成功や名声を手に入れると引きこもりがちになる人が多いけど、ルーはいつでも好奇心旺盛だったし、新しい試みのためにはいつでもリスクを引き受けるつもりだったんだよね。

ルーの作品とヴェルヴェッツでの作品は僕がニューヨークを目指すことになった大きな理由の一つだったし、それは僕だけじゃないと思うよ。ああいう才能を育んで糧となった、そんな都市に僕たちは住んでみたいと思ったんだよ。

デヴィッド・バーン2013年10月28日」
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