しつこいですが、最後の『シン・ゴジラ』評です

公開から4週末が過ぎたということで、少し具体的なレビューを掲載します。
未見の方はご注意。
現在発売中のCUTにも掲載している映評です。
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日本中が“ゴジラ”について本気で考えるのは素晴らしいことだ

『シン・ゴジラ』のヒット、そして驚異的な高評価が映画界に、そしてこの国もたらしたものは大きい。
『シン・ゴジラ』は、懐古性ゼロの映画である。「想定外の事案」「御用学者」「根拠のない楽観」「日常が壊れ、家族も家も失う恐怖」「地方は後回し」「政治的空白」といった次々と登場するキーワードからもわかるように、2016年の今を生きる私たちのための超現在進行形の映画である。しかし、それは同時に総監督の庵野秀明をはじめとする、この映画の作り手たちの“ゴジラ”という存在が持つ根源的なメッセージに対するリスペクトと愛情の表明でもある。つまり“ゴジラ”とは、弱い人間たちが、自分たちの目の届かない海中深くに封じ込めておきたいと思っている不都合な“真実”の象徴である。そして、その“真実”が持つ絶対的な破壊力が視覚化されたとき、人々はそこから目が離すことができない。そして、その絶対的な“真実”を前にしながら、人間たちが未来を信じてやるべきことをやる。“真実”から目を逸らした弱い人間たちだが、その強さは持っている。それが“ゴジラ”の根源的なメッセージだ。そんな映画を現代において本気で作る人々が現れ、それが多くの人の心を揺さぶっている事実、それがとにかく嬉しい。

(古河)
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