やくしまるえつこの話


前回の続き。
私はなぜ、やくしまるえつことd.v.dについて、なんか書くのを
避けてきたのか、という話です。

いや。d.v.dは違う。特に意識して避けてはいない。
というか、映像と、打ち込みと、ドラム×2、というあの
編成自体、好きというか、むしろ「好きなものしかない」状態であり、
つまり、好きでこそあれ、避ける必要などないわけです。

ということは。そうです、やくしまるえつこです、問題は。

まず、僕は、基本的に「感性が工業地帯」なところがあって、
そしてそれは生まれと育ちのせいなので、自分ではどうしようもないのですが、
その感性でもって、ロックとかをも、捉えてしまうところがある。

ロックというのはコミュニケーションの手段であって、
自分が言いたいことをたたきつけるもので、
でっかい音じゃないと遠くまで届かないから、
ギターに電気を通して音を大きくした、そういうところから
始まっている音楽である、と思っている。
いや、「思っている」んじゃなくて、思う思わない以前に、
そういうものだということが、身体にしみついている。

という奴からするとですね。

腹から声出せい!
一生懸命歌えい!!
伝える気ねえんならやるな!!!

というものなわけです。彼女のあの歌は。


譜面台置くなー!

とか、

ボーカルマイクがドラムの音を拾っちゃわないように、
自分の前と横に透明の衝立みたいなの立てるなー!
おめえがでかい声で歌わねえからだろーがー!

とかも、言いたいわけです。

いや、別に、そんな言いたいことがあるわけじゃないし、
主張とかもしたくないし……ということやもしれぬが、
そもそもですね、

「客前に立って歌を歌う」
「しかもそれで金をとる」

ってこと自体、普通の人は、というか、まともな人はやんないわけです。
その時点で既に「主張したくてたまりません」状態なわけです。

そこで「いや、別に……」みたいな涼しい顔すんなー!
その無表情はなんだー!!
汗かけー!!!
叫べー!!!!

みたいなことです、要は。

今書いててわかった。
そうか、だから俺は、
「人前に立って歌うなんて恥ずかしいことをしている、
そのやましさをやましさとしてやましさむきだしで全開にする」
みたいなバンドマンばかり、好きなんだ。
フラカン圭介とか。サンボ山口とか。
銀杏峯田とか。なるほど。


で。そういう奴からすると、あのやる気ない態度とやる気ない歌は、

「だったらやるな!」

というものでしかないわけです。
要は、私の信条とか主義とかポリシーとか、そういうものと正反対なわけです。
僕は今、日本マドンナというバンドを、それはもう大変に好きなんだけど、
その対極にいる存在、それが彼女である、ともいえます。

しかし。
「だったら聴かなきゃいいじゃん」と思うでしょう。
そうなんです。だったら聴かなきゃいいのに、聴いてしまうのだ。
相対性理論のCD、持っています。
サンプルではありません。買いました。
やくしまるえつことd.v.dと、まりん淳治やくしまるは、
サンプルをいただけたので買っていませんが、
もしいただけなかったら、間違いなく買っていたと思います。

というのが、困るのです。
俺のポリシーとは相容れないのに、よい、というのが。
というか、己のポリシーと相容れないものを、よい、
と、感じてしまうということ自体が。

だから、これまで書くのを避けてきたのでした。
しかし、こうして避けずに書いてみたところで、
じゃあ今後どうすればいいのかは、皆目わからないのでした。
どうしましょう。


とりあえず、寝ます。
写真は、やくしまるえつことd.v.dの『Blu-Day』。
今年の4月に出たやつ。