全国ツアー、福岡でのファイナル公演、2日目のライブを観た。
今回のツアーに限らず、欅坂46のライブには曲に先立つ形で世界観がある。
ライブ全体がストーリーになっていて、その2時間トータルの大きな鑑賞後感をどう捉えるかが、欅坂46のライブをどう観たのか、ということの意味になる。
それは深い余韻であったり、衝撃であったり、巨大なクエスチョンマークだったりするが、いずれにしても、その2時間を経ることでしか生まれ得ないメッセージがそこには存在している。
どこまで書いていいのかわからないので曖昧にはなるが、日常の平凡さとやるせなさというのは欅坂46にとって根本的なテーマだと思う。
そして、今回のツアーは、そんな日常のあり方を根底に据えた、とても欅坂46らしいツアーだったと思う。
日常はそもそもつまらないものだし、やるせないもので、時間を過ごすこと自体がしんどく無慈悲な行為なのではないか、だから日々苛立ちもするし、そんな日常を黙って受け入れている自分に疑問を持ちもするし、世界のあり方を疑いもするーー。
それはどこか脆い一人称だと思うが、その温度は欅坂46の楽曲における通奏低音になっていて、僕はもういい大人だが、その脆さに否応なく感応してしまう自分を強く感じる。
きっと多くのファンが大なり小なり同じことを感じているんじゃないだろうか。
そして、いまさら言うまでもないが、その脆さと脆さゆえの生身感を背負っている存在、それはやはり平手友梨奈だと思う。
このツアーで平手は1曲のみのパフォーマンスだったが、それでも、その時間はほかのいかなる音楽にも替えがたいものだった。
ちゃんと苛立ちながら、孤独なまま決心されたメッセージが歌われ、また、この世界においてはそう歌うことしかできないという悲しみのようなものが表現されていた。
たった数分のパフォーマンスで空気を染め上げていく表現は、誰にでもできるものでは決してないと思う。
髪が伸び、感情の陰影がより深く伝わるようになった平手のパフォーマンスは、文字通り圧倒的なものだった。
このツアーを通して表現されてきた欅坂46の世界観、テーマがその時とてもよくわかった。鋭く刺さってくる感覚、「要するにこれです」と言われるような感覚があった。
やはり、平手は欅坂46というグループの真ん中であり、その世界観、テーマの中核を、ステージに立ったその瞬間に言い当ててみせる稀有な存在なのだと思う。
あと10日もすれば東京ドーム公演が行われる。
欅坂46と平手が背負うメッセージは、最大動員となるそのステージでどのように伝えられ、どのように共有されるのだろう。(小栁大輔)