菅田将暉のツアーファイナル、Zepp DiverCity公演を観て

菅田将暉のツアーファイナル、Zepp DiverCity公演を観て
菅田将暉はむき出しのままライブをやる。
人としての菅田将暉がそのままステージにいて、ぶれたり揺れたりしながら歌をひたすら歌っていく。
その時間を通して行われる、菅田将暉とのコミュニケーション感はちょっと尋常ではない。
昨日はZepp DiverCityで2000人強の観客がいたので、それだけの数のコミュニケーションが緊密に行われていたということになる。
それはそうそう観ることができない、不思議な時間だった。

なんというか、フォーマットがないのだ。
もちろんセットリストも決まっているし、MCが入るタイミングも決まっている。
それは普通に決まっている。
だが、一曲一曲で表現するエモーションや、ひとつひとつのMCで話される思い。そこには予定調和がまったくない。その時々にステージにいる菅田将暉が伝えたいと感じたこと、溢れてしまった緊張感やブレや喜びがそのまま伝えられる。
繰り返される何かがまったくないのである。
きっと5公演あったツアー、ひとつひとつがまったく違うライブだったのだろう。
考えてみればそれもまた、人であれば当たり前のことで、菅田将暉はちゃんとひとりの菅田将暉として全公演に向き合っていたのだろうと思う。

でも、そのスタンスを貫くのは実はとても難しいことだ。難しいし、リスクのあることだと思う。
本人にそう問うたらきっと、「それしかやり方を知らない」というようなことを言うのだと思うが、そのやり方しか知らない菅田将暉はどう考えてもかっこいいなとあらためて思った。

菅田将暉という人間そのものを知ることができるような素晴らしいライブだった。近いうちにまた観たい。(小栁大輔)
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