ポール・サイモンが、耳が聞こえなくなったことを「まだ完全に受け入れられない」と告白。今年も音楽ドキュメンタリー映画が充実。〈トロント映画祭レポート3〉

Courtesy of TIFF

今年のトロント映画祭が少し寂しかったのは、ストライキをしているため数作の例外を除くと、俳優がレッドカーペットに来なかったことだ。しかし、ミュージシャン達は、ひとつ前のブログで紹介したトーキング・ヘッズはじめ、なんとポール・サイモンから、リル・ナズ・Xなどが登場し、今年の映画祭を大いに盛り上げてくれた。

トロント映画祭は、去年はテイラー・スウィフトも来たし、これまでもニール・ヤングから、ブルース・スプリングスティーンジミー・ペイジキース・リチャーズ、U2、ジャック・ホワイトなど豪華なメンツが登場している。音楽ドキュメンタリー映画が世界初上映する場として定着していると言って良いと思う。

●ポール・サイモンは、3時間半もあるが全く飽きないキャリア総括の『In Restless Dreams: The Music of Paul Simon』を上映。現在左耳が聴こえないことの葛藤から、全キャリアの成功と失敗が描かれている。

上映後にステージに登場したポール・サイモンは観客から総立ちで大喝采の中、迎えられた。

「みんな疲れてしまったんじゃないかな」と言っていたけど、大喝采は鳴り止まなかった。

実は彼自身はまだ映画を観ていないのだと言う。「いつか絶対勇気を振り絞って観に行くよ。それで、今も会場にいなかったから分からないのだけど、観終わった時スタンディングオベーションはあったかな?」と聞くと、会場は再び立ち上がって大喝采となった。

ポール・サイモンは嬉しそうに「今日は僕の誕生日なんだ」とジョークを言っていたくらいだ。本当は10月16日で、あと1ヶ月後には82歳となるポール・サイモンはこのQ&Aで以下のようなことを語っていた。要約する。


a. 映画の中でも描かれているのだけど、現在左耳が聞こえないことの葛藤について。

「(耳からは)非常に大きな情報を得るからね。だからまだこの事態を自分の中で飲み込みきれていないんだ。(耳が聞こえないことを)まだ完全には受け入れられていない。でも、徐々に受け入れ始めてはいるんだ….。ただ一番苛立つのは、僕は毎日ギターを弾くんだけど、それは自分のクリエイティビティを表現できるからであり、同時に、その時自分が人生において傷ついてることがあった時は、その癒しにもなる。だから、僕にとっては非常に重要なことなんだ。

ただ少なくともギターを弾いている音は聞こえるから良かったんだけど。大変なのは、それに合わせて歌おうとする時。それが上手くできていないんだ。でも、ここにいる人達も体験したことがあると思うけど、何が起きて不自由になると、自分の意識が変わるものだし、人生の事実との関わり方も変わるものだ。そして視点の変化に驚いたりもする。まだこの時点では、そこから僕が何を学んだのかまでは語れないけど、でもそこから新たな情報を得ているし、それを消化しているところなんだよね」

さらに、
「普通はアルバムを作り終えると、そのアルバムのツアーをするから、その曲をさらに深く探求する機会を得る。それで曲がさらに深いものへと発展していく」。最新作の『Seven Psalms』については、現在耳が聞こえないので、それが出来ないでいるのだ。実際完成してから今までアルバムは一度も聴いていないそう。

「でもこれから1週間後に、ギタリスト2人に僕のギターのパートを弾いてもらって、僕が歌えるのか試してみるんだ」

映画の中では、突然耳が聞こえなくなったことで、鬱になってしまったことも告白している。いつか自然に治るのだと思っていたのだ。

「どのようにして、ギターの音と自分の声を合わせていけばいいのかまだ分からないんだ」

pic by AKEMI NAKAMURA

b. 監督のアレックス・ギブニーについて。

監督は、『エンロン巨大企業はいかにして崩壊したのか?』や、『Client 9: The Rise and Fall of Eliot Spitzer』でアカデミー賞にノミネートされ、『闇へ』でオスカーを受賞している。しかし、サイモンが、監督にお願いしたのは、フランク・シナトラのドキュメンタリー『Sinatra: All of Nothing at All』が特に好きだったから。

「何より彼のことを尊敬しているんだ。それから、観察者によって、真実が描かれるというのが面白いと思えた。僕自身が、真実は何なのかを語りたいタイプの人間ではないからね。それに、両サイドに対して先入観があると思う。自分を過大評価するし、かと思えば、自己嫌悪にも陥る。だから他の人に描いてもらった方が良いと思ったんだ」

今回の作品は、夢を見たことから制作を開始した最新作『Seven Psalms』のレコーディングの過程を記録するところから始まる。

しかし、これまでほとんどのレコーディングが撮影されていなかったことを後悔していた。
「もっと初期のレコーディングが撮影されていたらと思う。”Bridge Over Troubled Water”とか”Graceland”などのね。今回その機会を得たわけだけど、カメラにはすぐに慣れていった」

今作で貴重な映像は特に2つで、監督曰く、アーカイブへのアクセスを得て、1969年のドキュメンタリー”Songs of America”からの16mmの映像を発掘した。おかげでスタジオで作業する貴重な映像が見られる。それから南アフリカでポールがミュージシャンと演奏している映像、”Graceland”の初期のリハーサル映像も観ることができる。

ガーファンクルは、この映画のために新たな発言はしていないのだけど、その時々でインタビューで語っていた音声が使われていて、一方的にサイモンの言い分で作られているわけではない。


c. すでに新曲を書いたことについて。

また興味深かったのは、「いつも新しいサウンドを探しているわけではいないんだ。そういう風に見えるかもしれないけど、違うんだ」と言っていたこと。

「自分の中で大きなひとつの作品があって、その中で、面白いと思える部分やまだしっかりと探求できていないと思える部分が残っている。だから、ひとつの作品が作り終わったら、しっかりと探究できていないと思える部分を探求し始める。つまり、どこかに新しい何かがないかとキョロキョロ探しているというわけではないんだ。アイディアというのはすでに僕の中にあるんだけど、未完成のところがあるので、それをひとつずつ探究していくというものなんだ。そうやって僕の中で、発展し続けていく」。
つまり巨大な1枚の絵を完成させているみたいなものなのかもしれない。

また、「すでに新曲を書いたんだ」と最後に語っていた。
「その曲のタイトルは、”When I Learned to Play Guitar”とタイトルだ。だけどそれをどうするのかはまだ決めてない。実は最近また曲を書く夢を見たんだ(笑)。”It’s What’s His Name"という曲をね。その曲はまだ書いていないのだけど」

耳が聞こえないことは辛そうだったけど、最後は新曲について語り、未来を感じさせる明るい終わり方だった。

この作品は、アメリカでもまだ配給が決まっていない中で世界初上映されたので、今回の高評価を経て、配給先などが決定するのだと思う。



ロッキング・オン最新号(2023年10月号)のご購入は、お近くの書店または以下のリンク先より。

中村明美の「ニューヨーク通信」の最新記事