現在開催中のトロント映画祭で一番チケットが手に入らなかったのは、9月11日に開催されたトーキング・ヘッズの『STOP MAKING SENSE』IMAX上映だった。今年一番を超えて、これまでで一番だったかもしれない。何しろ、私は去年史上最高にチケットが取れないと思われたテイラー・スウィフトも、ハリー・スタイルズのチケットも取れたのだ。それなのに、『STOP MAKING SENSE』は取れなかった(涙)。
理由は、2002年以来初めて、なんと21年ぶりにトーキング・ヘッズのメンバー4人が登場し、上映後に、スパイク・リー(『アメリカン・ユートピア』の映画版監督)が司会でQ&Aをすることになっていたからだ。私は、トロントにいるというのに、なんともルーザーな気分だったが、代わりに、トロントの別の会場で行われたIMAX上映とQ&Aのストリーミングを観た。しかし、この上映は、この映画が、なぜ今も「史上最高のコンサート映画」であるのかを明確に証明してくれるものだった。
まず、今回、4Kのレストア版でIMAXの上映となったわけだけど、何が新しいのかと言うと、これまで紛失されていたオリジナルのネガを、配給するA 24がそれ専門の調査員を雇って発掘したこと。なんと、1992年以来誰も触っていなかったオリジナルのフィルムが見つけられて、それをレストアしたのだ。
また、音源も今回新たにジェリー・ハリスンがリマスターしている。
それをIMAXシアターで観たら、コンサート映画は数え切れないほど観てきているけど、こんなコンサート映画観たことないと断言できるものだった。いまだに斬新だし、アーティスティックで、全く古びていない。本当にコンサート映画の傑作であることが良く分かった。普通のコンサート映画のようなお決まりの瞬間がないし、カメラワークが普通じゃない。ライティングも普通じゃない。スタッフがステージに上がるところなどは、今もビヨンセが行っている巨大メインストリームのツアーから、6年前にフランク・オーシャンが行なったカッティングエッジでアーティスティックなライブをもインスパイアし続けている。今もクールに見えるからだ。
パフォーマンスや曲が良いのは当然だけど、衣装も、ステージセットも、そして何より今回リマスターした音が最高。ライブ映像ではあるけど、全ては彼らがアーティスティックな面において下した決断の結集であり、そのおかげでこの傑作ができていることがIMAXだとこの偉大さまで拡大されて、隅々まで観えて本当に良く分かるのだ。しかも、40年間こうして誰もがお手本にできるように、目の前にあったのに、誰もこれを超える作品ができていないと思えた事実にも改めて驚愕した。
この作品は、9月末からアメリカ、そして世界各国で劇場公開されるけど、日本でも来年2月からTOHOシネマズ日比谷他全国ロードショーが決定した。デイヴィッド・バーンもQ&Aで語っていたけど、多くの人たちはこれをラップトップか自宅のTVでしか観たことがなかったのでは?と思う。IMAXのクオリティで何もかもが作られているので、絶対に劇場に足を運んで欲しい。実は、Q&Aの会場には入れなかったルーザーではあるけど、なんと、メンバー4人に取材するあり得ない貴重な機会には恵まれた。公開するまでにどこかでご紹介できると思うので、お楽しみに!
以下は、9月11日に行われたQ&Aの全訳だ。長すぎて全部読んでくれる人は2人くらいしかいないかもだけど、貴重なので全部掲載する。読んでくれた方ありがとうございます!
スパイク・リー「みなさん、トーキング・ヘッズです!」
会場「(拍手)
リー「ティナ・ウェイマス、お元気ですか?」
ウェイマス「元気ですよ。スパイクはいかがですか?」
リー「クリス・フランツです!」
フランツ「やあ、みなさん」
リー「ジェリー・ハリスンです!」
ハリスン「ここに来られて嬉しいです」
リー「そしてあの素敵なスーツを着ていたデイヴィッド・バーンです!」
バーン「(笑)ヘーイ!」
スパイク「今日は、ここにみなさんと参加できて本当に光栄です。何年も前にこの映画がミッドナイトに公開された時に、僕も劇場で観たんです。それでは、まずデヴィッドに伺います。この映画の始まりは?」
バーン「えっと、これは、その時のツアーをほぼ再現したものなんだけど。数曲カットされているのと、それからインターミッションと、アンコールもカットされているけど。でもそれ以外は、この映画は当時やっていたツアーをほぼそのまま再現したものなんだ。それで、このライブは、物語を語るように進んでいくから、もしかしたら映画になるのかもしれない、と思った。始まりがあって、中盤があって、そして終わりがある。だから、これを誰が監督できるだろう?と考え始めた。どうやったら映画として実現できるだろう?お金はどうやって払えばいんだろう?とね」
リー「そこで亡くなった偉大なるジョナサン・デミが起用されたわけですね。みなさん拍手を!」
会場「(拍手)」
リー「偉大なる監督です」
フランツ「本当に。ジョナサンがいなくなって寂しい。彼が今夜これを観たら、また聴いたら、本当に喜んだと思う。ジェリーが(サウンドに関して)本当に素晴らしい仕事をしてくれたから。ありがとう。それから偉大なるバーニー・ウォーレル(キーボード)がいなくて寂しい」
リー「そうですね偉大なるバーニー」
リー「この作品は、LAのPantagesシアターで4回撮影し(1回リハーサル、3回ライブ)、1984年に映画として公開されました。それから、何十年も経って、レストアされ、リマスターされ、今こうやって、IMAXで公開されて観て、どんな気持ちですか?
ハリスン「まず言えるのは、新たなテクノロジーのおかげで、IMAXで聴きうるクオリティの作品にできたと言うこと。それをしっかり完成させる責任があるとも思ったし。今回、現代のマルチチャンネルのオーディオがあったおかげで、84年や、99年ですら、自分の耳では聴こえないようなこともできるようになった。例えば、バーニーの音をここで聴きたいと思ったら聴かせられるし、Alex (Weir/ギター)の音をここで聴きたいと思ったら聴かせることができた。それは、今回オリジナルのネガを発見できたおかげだった。それが最高に嬉しかった。おかげで、サウンドを可能な限り蘇らせることが出来たんだ。今回観る劇場(IMAX)に耐えうるサウンドにするのが目標だった」
バーン「今この上映を観て、これぞ僕らが映画館に来る理由じゃないかと、思ったんだ。僕のラップトップで見るのとは全然違った」
会場「(拍手)」
バーン「全く違っていた」
リー「またはiPhoneで見るのとも全然違います(笑)」
リー「僕は映画オタクですが、これは、『史上最高のコンサート映画』と言っていいと思います。皆さん拍手をお願いします」
会場「(拍手)」
リー「人それぞれ意見はあると思いますが、僕はここで世界に公言しておきたい。『この映画は、史上最高のコンサート映画だ』。皆さんもう一度拍手お願いします」
会場「(拍手)」
フランツ「トーキング・ヘッズはそれだけで本当に優れたバンドだったと思うけど、この時はさらに参加してくれたツアーメンバーがいて….自画自賛で申し訳ないけど、今夜バンドメンバーに会えて本当に嬉しい。本当にずいぶん長い間経っているからね…..それであのツアーでは、Steve Scales(パーカッション)、バーニー・ウォーレル、Lynn Mabry に、Ednah Holt、Alex Weirがいたおかげで、バンドが別次元に行くことができた。
僕は、今夜ここに来られたことをすごくありがたく思っているのと、この映画を観て、楽しめたことを、すごく感謝している」
スパイク「観客がノッてるのを観て、楽しみましたか?」
フランツ「それはもちろん。ダンスするには少し急勾配ではあったけど。それでもダンスしていた人がいたよね」
スパイク「僕は踊りました」
ハリスン「僕は上まで行って少し踊った。体験してみたかったんだ。このワイドスクリーンを体験してみたかったんだ」
リー「ジョナサン・デミとのコラボレーションについて教えてくれますか? ただライブを収録しただけで、ここまで素晴らしい作品ができるとは到底思えないのです。事前に話し合いがあったと思うのです。それを教えてもらえますか?」
フランツ「ジョナサンはコンサートを観に来て、その後バックステージに来て、『これをぜひ映画にしたい』と言ったんだ。確かそれが始まりだったと思う。それくらいシンプルだったと思う。僕らは彼の作品を称賛していたし、『女刑務所/白昼の暴動』(1974年)とか」
リー「ロジャー・コーマンが出ていた作品ですよね?」
フランツ「そう(笑)。でも僕らが本当にジョナサンに夢中になったのは、『メルヴィンとハワード』(1980年)を観てからだった。あの作品は当時としては、すごく変わった、しかもすごく美しい作品だった」
バーン「僕は、彼が編集のリサ・デイと作業しているのを見た時に、彼はアンサンブル映画を作っているんだ、と分かった。まるでロケ地で撮影した映画のように、何人も俳優がいて、しかもそれぞれのキャラクターを1人ずつ紹介して、しっかりと知ることができる作品を作ってるみたいだと思った。
そして、それぞれが紹介された後で、今度はそれぞれのメンバーがどのように関わり合うのかを見せている。僕は、僕だけの世界にどっぷり浸かっていたけど、彼にはアンサンブル劇に見えていたんだ。彼には、ここで何が起きているのかが見えていたんだよね」
ハリソン「この映画が永遠に力を持っている理由のひとつは、彼がそれをとらえてくれたおかげで、僕らがステージの上で、ものすごく楽しんでいるのが見られるからだ」
リー「それから愛もですよね」
ハリソン「それから愛も」
リー「愛です、愛」
ハリソン「そうですね。愛と楽しみ。それから、観客も見せて、観客もこの一部であることを見せている。だからこの映画を見る度に、素晴らしい感動が蘇るんだ」
リー「ティナに伺います。僕の父はベースプレイヤーだったので、とりわけベースプレイヤーには特別な愛があるんです。このバンドでのベースプレイヤーであることについて語ってください」
ウェイマス「私の最大の貢献は、自分のアンプのボリュームを3以上にしたことがないこと」
会場「(笑)」
ウェイマス「そのおかげで、それぞれが輝くことができる。もしベースプレイヤーの音が大きすぎたら、それは絶対に無理だから」
リー「ジョナサン・デミとリサ・デイとの作業はいかがでしたか?」
バーン「ジョナサンとリサは僕らを編集にも参加させてくれた。だからといって、僕らが『ここはカットして』などの指示を出したわけではないけど。でも、例えば、『アレックスはこの瞬間に素晴らしいことをしている。だからこれは入れて欲しい。それをカメラがとらえているから』と言ったりした。僕らはショーを熟知していたから」
リー「毎晩、カメラは何台あったのですか?」
バーン「毎晩4台だったかな? 5台かな? 全部を合わせると少なくとも12台分はあったと思う」
ハリスン「毎晩6台だったそう」
バーン「毎晩6台か。つまり全部で18台分ということになる」
ハリスン「しかも当時ハル・アシュビーが発明した新しいシステムを導入したおかげで、リサは全ショットを同時に見られた。順番に見ていくのではなくてね。betamax テープを使って。だから編集を始める前に、それをまず見た。それからこの映画でもうひとつ特別だったことは、この映画を撮影したのは12月終わりで、そこからオーストラリアに行って、ニュージーランドに行って、いくつかのショーをやって、帰って来て、映画が公開されたのは4月だった。つまり、短距離競争のように駆け抜けて作った作品だったんだ。でも、誰も疲れてなかったし、途中で中断し、休憩が入るプロジェクトもあるけど、これは休みもなしで、そのまま一気に流れて完成させてしまった。それが最高だったと思う」
リー「この映画のオープニングが素晴らしいと思うのですが。『何も隠したりしません』という感じで、機材などがそのまま運び込まれるのが映ります。あのアイディアはどこから来たのですか?」
バーン「あれが僕らのライブそのものだったんだ」
リー「ツアーでもそうしていた、ということですか?」
バーン「そう、ツアーでも。ただ、スタッフのみんなが、ステージ上に丸見えで立つのに慣れるの時間がかかった。彼らは人に見られないように仕事してきたから。でも僕らは、『いや、それで良いんだ。しっかりと目的と意図を持って動いてくれれば、それで大丈夫だから』と」
リー「今観た映画の中で、一番好きなパフォーマンスはどれですか?」
ウェイマス「そんなこと言われても。私はあのショーが本当に大好きで、マジカルだったと思う。すべてが本当に特別だったと思うから。それからあなたが言ったように愛があったし。バンド内と観客との間にも。私たちのスタッフと映画スタッフの間にも、チームワークがあった。すべてが最高だった。それからSandy McLeodがいて、彼女も一緒にツアーして」
リー「彼女が誰だったのか教えてもらえますか?」
ウェイマス「Sandyは…彼女の役割はなんと呼ばれていたかしら? ビジュアル・コンサルタント、だそうです。彼女は、私たちと一緒にツアーして、彼女が事前にすべてのショットを決めていた。全ての曲についてメモを書き、それぞれのプレイヤーがその曲で何をするのかを書き出して、誰が動いていて、誰がどこにいるのかなど全てを。それが、撮影スタッフが現場に来ていざ撮影する時にすごく役立った」
リー「実際撮影する前に、ジョナサン・デミは何回くらいライブを観に来たのですか?」
バーン「何度も。彼もツアーに一緒に来たので」
フランツ「Sandy McLeodほどは来ていなかったけど。というのも、ご存知の通り、ジョナサンは、同時にゴールディ・ホーンと映画(『スウィング・シフト』)を制作中だったから。彼女が出来上がった映像を観て、これではダメ、と言い出したので(笑)、再撮しなくてはいけなくなったんだ。彼女を幸せにするために、かなり多くのシーンを撮影し直していた。もちろんジョナサンは映画の半分を再撮するなんて思っていなかった。だから、彼は本当は、もっとライブを観たかったと思うけど、無理だったんだ。でも観た中で、しっかりバンドを探求し、バンドを理解してくれた。おかげで、僕ら自身がそれを祝福できたし、音楽そのものを祝福できた。究極的には、あの音楽は、すでにバンドより偉大だったと思うんだ。僕らはいつか死ぬけど、おかげで、バンドは、いや音楽はこれからも生き続けると思うんだ」
リー「永遠に生き続けます」
フランツ「そうだね」
会場「(拍手)」
リー「それでは一番好きな曲は?」
フランツ「そうだな。トム・トム・クラブもクールだけど、僕がもっと黙っているべきだった(笑)。えっと、”Once In A Lifetime”かな、やはり。まるで教会に行くような感じだし、感動的な曲だし。その他のバンドや曲が絶対に辿り着けなかったような力があると思う。上に存在するんだよね」
リー「事実だと思います」
ハリスン「僕は2曲あって、”Life During Wartime”で、あの瞬間に映画が飛び立つような気がするんだ。あの曲が始まったら、みんな立ち上がってダンスし始めると思うからね。それから、”Girlfriend Is Better”も大好きだ。音楽は、奇妙だし、抽象的で、だから、すごく普通じゃない現代音楽だと思う。聴く度に、この曲が大好きだと思うんだ。だからこの曲をあげておきたい」
バーン「僕もみんなが言ったことに賛成なんだけど、やはり”Once In A Lifetime”は素晴らしくて、ほぼ1ショット(長回し)で撮影されている。全部じゃないけど、ほぼね。ジョナサンが決めて1ショットで撮影して、結果、気に入って、カットしなくちゃいけなくなるまで、カットする必要はないってね。
その他、彼は様々な瞬間をとらえてくれたと思う。僕らの誰かが誰かを見る瞬間とか。バーニーの方を見たり、またはバーニーが僕らを見た瞬間とかね。その一瞬の関わり合いの瞬間、それを見た時に、最高だと思った」
リー「バーニーがソロを演奏している時の映像も最高です。彼がのめり込んでいるのが分かるから(笑)」
リー「それでは、デイヴィッド。あのスーツのオリジンは?」
バーン「(笑)あのオリジンは、あれはツアーとツアーの間で、次は一体何をしようと考えていて、ステージで着るものは再考しないといけないと思っていたんだ。それでツアーが終わった後に、日本で夕食を食べていて、日本のデザイナーが、『デイヴィッド、舞台においてはすべてが現実世界より大きい』と言ったんだ。彼は、体の動きとか、より大きい声で歌う、ということを指摘していたわけだけど。それを聞いた時に、『なるほど、じゃあ僕のスーツも大きくするべきだ!』と思ったんだ(笑)」
フランツ「とりわけ今日は巨大に見えたよね」
会場「(爆笑)」
ハリスン「あのスーツに関していうと、確か2パターン作られたんだ。それで彼が実際に着たのは、僕の友達が作ったもので。もう1着の方は、軽かったけど、プラスチックだったから、あまりよく動かなかった」
バーン「そうそう。だから揺らしたり出来なかった」
リー「それでは観客からもらった質問をします。テネシーからの質問。ジョナサン・デミから学んだこと。それがその後どのように影響したか?」
フランツ「僕の場合は、『サムシング・ワイルド』(1986年)がその後の自分の作品にすごく影響を与えたと思う(笑)。えっとそうだな。ジョナサンは、僕らに自信を与えてくれたと思う。彼のおかげで、僕らがやっていることにはすごく意味のあることなんだと思えた。映画にするほど価値があるものなんだとね。未来の人たちのために残す価値があるものなんだと思わせてくれた。彼は本当にピュアな人で、しかもすごく優しくて。だから彼と出会えて本当に嬉しかった」
リー「次の質問はロングアイランドから。このアイコニックな映画を新しい観客に観てもらうことをどう思いますか?」
バーン「すごく良い反応だったように思うよ。それから今日ここにいた人達の多くは、映画祭の会員だったと思うから。それも素晴らしいと思う。映画祭には会員が必要だからね。でも、ということは、みんなここに来る前にどんな映画が待っているのか知らなかった、ということかもしれないけど(笑)」
リー「それからこの会場にいる人から。私はこのライブを8回見ています。ステージの上がすっきりしているのが、すごく感動的です。でも実際モニターはどのくらい聴こえていたのですか?」
フランツ「ステージに出てくるプラットフォームにモニターとギターアンプが入っているんだ。だからスタッフは、配線をしっかり繋ぐことを覚えなくちゃいけなかった。ただフィードバックがないのは難しかった。でも時間をかけて、ミックスがちゃんと整って、全員の音がしっかり聴けるようになった。
トーキング・ヘッズというのは、常にミニマリストで、モニターにはたくさん詰めすぎないようにしていた。だからボーカルとスネアドラムはあったけど、それ以外は最小限だった。ステージでも音を大きくしすぎなようにしたんだ。だからモニターが後ろに置かれても、それが可能だったんだよね」
リー「次はウエスト・メルボルンから。なぜトーキング・ヘッズはいまだ古びていないのでしょうか? なぜあなた達の音楽は普遍的な響きがするのでしょうか?」
ウェイマス「こう言うのは申し訳ないけど、ブルースをもとにしていないから。ブルースも素晴らしいし、ジャズも素晴らしい。私たちもそれを少しはミックスしたけど、でも違う方向に行った。と言うのも、すでに偉大なブルースのプレイヤーがいたから。だから私たちは、それをやらなかった」
ハリスン「僕は他のバンドから入ったから特にそう思ったけど、トーキング・ヘッズの音楽は全く新しく思えたし、独自のものに思えたんだ。もちろん影響された音楽はあったし、R&Bの影響は受けていたけれども。でも、僕がこのバンドに加入した時、こんな音楽は、どこにもなかった。その当時の観客がどのように思ったかは分からないけど、でも僕らは新境地を開拓したいと思っていて、実際にそれが出来たから、普遍的なものになったんだと思う」
リー「これはダンベリーから。ライブアルバムなのに、ここまで豊かで細かいところまでどのようにサウンドを録音できたのですか?」
ハリスン「この作品は、当時はまだ新しかったデジタルでレコーディングをしたんだ」
リー「84年にですよね?」
ハリスン「当時はそれを使うパイオニア的存在だった。映画を作るとなったら、何度かレコーディングしなくてはいけないことは分かっていたし、時代を重ねる度に音を劣化させたくなかった。もちろん、ミックスしてくれた人、関わってくれた人達のおかげでもある。それから、オリジナルのミックスをした時は、デイヴィッドと僕も立ち会ったし。その他のエンジニアも、このクオリティをしっかり守ることを目標にしたんだ」
リー「モントリオールから。ビジュアルに関して、ジョナサンの映画の何を参考にしたのですか?」
バーン「ビジュアル的な面でジョナサンの映画を参考にしたわけではなかった。それよりも、彼が、人間がいかにして関わり合うのかを分かっていたのが大事だった。つまり彼は、それをこのコンサート映画でも描いてくれたんだ。そういうことって、どのコンサート映画でも描かれていなかった。それから当時、その他のコンサート映画を観て、例えば、ニール・ヤングの”Rust Never Sleeps”ではステージ上に巨大アンプがあって、それを観てクールだなと思った。それからPファンクでは、マザーシップが降りてきたりして。それは僕らはできないと思ったけど、でもすごくシアトリカルなショーが当時もあって、しかも信憑性もあった。それを観て、何らかの方法で僕らにもそれができるはずだ、と思ったんだ」
リー「ちなみに、プリンスのコンサートアルバムっていつ出たんだっけ? 『サイン・オブ・ザ・タイムス』」
フランツ「それはこの映画の4年後くらいだったと思う」
リー「ここで時間切れになってしまいました。みなさん、トーキング・ヘッズでした。盛大な拍手を。トロント映画祭、ありがとうございました」
会場「(喝采)」
トーキング・ヘッズ「スパイク、ありがとうございました」
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