リリースまで2日、11曲目です。
■あの1曲を守りたかったけど、やっぱり、そのせいで他の11曲を消すわけにいかなかった(尾崎世界観)
このカウントダウンレビュー、この曲について書くために続けてきたようなものだ。というのは半分冗談だが、半分は本当である。
アルバムを聴いた人は、このギターのノイズの破片のような音は一体何だろうと思うはずだ。全体の構成においては、前作『吹き零れる程のI、哀、愛』の“シーン33「ある個室」”のような、アルバムのラストに向けてのいわゆるインタールードとして機能しているトラックである。しかし、このアルバム、そしてクリープハイプにおいては、これは単なるインタールードよりもはるかに大きな意味をもつ「曲」なのだ。
彼らのライヴをよく観ている人は知っていると思うが、彼らはレコード会社移籍にまつわる未発表曲をたびたび演奏している。その曲には結構刺激的で攻撃的な言葉が並んでいて、レコード会社を挑発しているようにも見える。まさに尾崎らしい曲だなあと思うのだが、それゆえに誤解されることも多くて、だからこの曲を披露するとき、彼らはどうせ歌詞なんて聴いてねえだろとか毒づきながら、ステージのスクリーンに歌詞をまるまる映す。ちゃんと歌詞を見て真意を感じ取ってくれ、ということだ。
この11曲目は、その未発表曲の文字通りの「破片」である。
最終的に誰のどんな判断によってそうなったのかは知らないが、「あの曲」はアルバムの完成直前に収録されないことになった。理由は、まあ、諸般の事情により、というやつだ。たぶん刺激的すぎたんだろう。
その決定を聞いて、尾崎はじめメンバー4人は相当悔しかっただろうし、怒ったはずだ。当たり前である。なぜなら「あの曲」は、別に誰かを攻撃するために書いた曲でも、誰かを傷つけるために書いた曲でもなかったからだ。いや、もしかしたら「あの曲」を書こうと思い立ったときの尾崎の心境は攻撃心でいっぱいだったのかもしれないが、結果として、そういう曲にはならなかったのだ。未発表の曲なのでその詳細を書くこともできないけれど、「あの曲」は間違いなくいい曲だ。何があってもリスナーに向けてまっすぐ歌うから受け取ってほしいという、異常に正直なメッセージソングだ。と僕は思う。
まあ、その曲がアルバムに収録されなかったことについては、仕方ないとしかいいようがないし、収録しないという判断も理解できる。いい曲なのでもったいないのは確かだが、重要なのはそこではなくて、その先である。
彼らはそこで、怒り狂ってすべてをおじゃんにするのでも、新たな形で毒を吐くのでもなく、この11曲目を作ることでケリをつけた。今までだったら絶対に、そこでまたごちゃごちゃといろいろなことが起きたはずだが、そうはならなかった。完成まで時間がないということもあったのだろう。しかし、アルバムから1曲を「なかったことにする」という判断は、相当キツいものだったはずだ。しかしクリープハイプはそれをやった。理由は、上で尾崎が語っているとおりである。彼らはこのアルバムを、ここにある楽曲たちを、そしてそれを聴いてくれるリスナーを守るために、「あの曲」を殺したのである。だが、それでもそこにあった意志のようなものは残したくて、この11曲目が生まれたのである。
だから、このタイトルのない15秒たらずの「曲」には、ほかのどんな曲よりも強い思いが込められている。ここまでに書いた事情をまったく知らないでアルバムを聴いたとして、それを感じ取るのは難しい。だが、それでもいいのだ。この曲がここに収まったからこそ、『一つになれないなら、せめて二つだけでいよう』は完成したのである。
この曲の元になった「あの曲」は、これからもライヴで演奏されるはずだし、いつかは音源になるだろう。それを聴いて、このとんでもなく短い「曲」に思いを馳せてほしい。
明日はいよいよ店着日!
レビューもラスト、12曲目“二十九、三十”について書きます。
JAPANクリープハイプ表紙号もよろしく!