「“モーニング・ベル/アムニージアック”を歌ってる時、夢の中に入っちゃってるんだ。
で、歌い終わったら、何もかもが普通で現実に戻ってた」
文=山崎洋一郎
このアルバムを聴き終わった後であらためて『キッドA』を聴いた。凄いアルバムだった。
すでに何度も繰り返して聴いたアルバムだし、あのアルバムの衝撃性はあらゆるリスナーやアーティストたちからもう語り尽くされたと思っていた。だが、不思議なことに、まったく表情を変えて『キッドA』がよみがえったのだ。『アムニージアック』を聴いたことによって『キッドA』をトータルで理解できた、と言っていいかもしれない。
『キッドA』は音の衝撃性や覚醒感、追い詰められたような絶望ギリギリの世界観、そうしたものを無表情に差し出しただけのアルバムではなかった。レディオヘッドというバンドの、あるいはトム・ヨークという人間の「希望」が、これまでになくドラマティックに展開する、あまりにも人間的でエモーショナルなアルバムだったのだ。そんなことはとっくに感じていたよと言う人でも、『アムニージアック』を聴いた後でふたたび“エヴリシング・イン・イッツ・ライト・プレイス”を聴けば、『キッドA』がいかに感動的な「ストーリー」と「感情」のアルバムだったかをあらためて知ることになるのではないか。
オープニングでこぶしを握り締め、途中でうれしくて微笑みが生まれ、最後には落涙するような、ほんとにそういうアルバムだったのである。
『アムニージアック』と『キッドA』は同じ時期に同じ場所でレコーディングされた。同じ制作過程を経た、だがまったく性格の異なるアルバムだ。それぞれの曲によって様々なのでひと言でその違いを表すのは難しいが、彼らはヒントをくれている。『キッドA』に入っていた“モーニング・ベル”が、『アムニージアック』にも“モーニング・ベル/アムニージアック”というタイトルで7曲目に入っている。
この、同じ曲のアレンジの違いが『キッドA』と『アムニージアック』の切り口の違い、世界観の違いを象徴していると言っていいと思う。『キッドA』バージョンはエレピやギター・ノイズの不協和音が基調になっていて、サウンド自体が自動的に変化していくのに任せるようなドライなアレンジ。『アムニージアック』バージョンはまったく打って変わって、まるでディズニーのアニメ映画に使われるララバイのようなクラシカルなアレンジ。
つまり、どちらのアルバムもロック・バンドのフォーマットではないやり方でトムが頭の中で鳴っている音をよりダイレクトに忠実に取り出そうという試みではあるのだが、『キッドA』は無機的で時空を超えたアナザー・ワールドのイメージで、『アムニージアック』はノスタルジックで歴史や時間の重みを感じさせる重厚な世界なのだ。
どちらも、トム・ヨークの頭の中に長い間あり続け、なかなかそのありのままを表現することができなかった世界観そのものなのだろう。(以下、本誌記事へ続く)
レディオヘッドの記事は、現在発売中の『ロッキング・オン』1月号に掲載中です。ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。