元ニューヨーク・ドールズのデヴィッド・ヨハンセンが他界した。デヴィッドは10年前にステージ4のがんを発症していると診断され、その後、5年前には脳腫瘍を患い、さらには転倒により背骨を2か所骨折したことも明らかにしていた。医療費をまかなうためのクラウドファンディングも募っていたが、2月28日に自宅で息を引き取った。
デヴィッドがボーカルを務めたニューヨーク・ドールズは元祖ニューヨークパンクとして知られ、その後、テレヴィジョン、パティ・スミス、トーキング・ヘッズ、ラモーンズ、ブロンディらを輩出するシーンを牽引した。その音楽性はロックンロールとガレージロックで、1973 年にリリースしたファースト『ニューヨーク・ドールズ』に収録された“人格の危機”や“フランケンシュタイン”などは70年代の世相を自分の問題としてわかりやすく消化した歌詞とあいまって、まさに今ならパンクロックとしか形容しようのないものだ。
しかし、先駆者にはありがちだが、一部の評論家からは絶賛されたもののニューヨーク以外ではバンドの魅力がよく理解されず、セールスは低迷した。さらに74年のセカンド『悪徳のジャングル』でもそれは変わらず、バンドはメンバーの依存症や意見の相違で紛糾し、ジョニー・サンダースらの中心的メンバーが脱退。この時期、バンドのマネジメントを買って出たのがマルコム・マクラーレンでその後、彼はロンドンでドールズのイギリス版を画策し、それがセックス・ピストルズの結成へと繋がった。
76年に解散するとデヴィッドはソロ活動に乗り出し、パンクとハードロックとポップを絶妙に使い分ける作風を確立した。80年代の後半にはバスター・ポインデクスターという別名での活動を開始し、ここで実は熱狂的なR&Bやブルースのファンであった自身の好みをより強く打ち出していくことに。その後、イギリスのファンクラブ会長も務めたことのあるモリッシーの後押しで04年にドールズの再結成が試みられ、11年まで活動は続いた。バンドのオリジナルメンバーでは最後の生存者だった。(高見展)
デヴィッド・ヨハンセンの記事は、現在発売中の『ロッキング・オン』5月号に掲載中です。ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。
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