何故、安倍総理も菅官房長官も「決めるべき時は決める」という空疎な言葉を好むのか?

何故、安倍総理も菅官房長官も「決めるべき時は決める」という空疎な言葉を好むのか?
何故、安倍総理も菅官房長官も「決めるべき時は決める」という空疎な言葉を好むのか?
安倍総理「決めるべき時、決める」菅官房長官「決めるべき時は決めると思っている」と、明日とも言われる安保法案の採決について発言している。しかし国民の8割以上が安保法案は説明不足と感じている時が、決めるべき時であるわけがない。
安倍政権はこうした空疎な言葉をよく使う。
特徴は「論理的でない」「とても自己肯定的である」「威圧的である」といったところだ。
「決めるべき時」に対する論理的な説明がない。というか、自民党の言う「決めるべき時」は、自分がそう思った時ということで、そこに国民の意志はなく、自民党の巨大な自己肯定の欲望だけが存在している。
従ってとても「威圧的な」ものを聞く側に感じさせることになる。
「決めるべき時に決める」というのは、もはや議論など必要ない、自分が決めると思った時に実行するだけだ、という宣言である。そこに他人の意見を聞くという姿勢はない。
どの世論調査でも安保法案の説明不足を感じる人が8割を超えている。その時を「決めるべき時」と採決に進む安倍政権は余りに危険だ。
最初の記事は朝日新聞7日の朝刊。それ以外は今日の朝日朝刊。
何故、安倍総理も菅官房長官も「決めるべき時は決める」という空疎な言葉を好むのか?
つまり、何故こうした空疎な言葉を使うかと言えば、発言に論理的な根拠がないにもかかわらず、どうしても肯定したい自分の欲望があるからだ。
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