昨夜のトレントと、今夜のチェスター。
あるいは後者にはマイケミのジェラルドを加えてもいいのかもしれないけれど、
絶望と対峙したパフォーマーには、
2000年をひとつの分岐とした、曰く言いがたい隔絶があるような気がする。
それは、誤解を恐れずに言えば、
2000年代以降のそのようなパフォーマーには、
ある種のヒロイズムがあるということだ。
ヘンなたとえだけど、
2000年以前のパフォーマーは、
ヒロイズムを拒否するためなら自らを否定することすらあったが、
2000年以降のパフォーマーは、
むしろヒロイズムをまっとうするために自らの存在を供することすらある、というような。
わかりにくい。
簡単に言ってしまうと、
2000年以前は、このようなかたちで、
自らのエモーションを晒け出すことがなかった、ということなのかも。(宮嵜広司)