サマーソニックでファレルを観た

サマーソニックでファレルを観た

もちろん、サマソニのマリンステージのトリとして、みんなを満足させるステージだったと思う。
でも、僕はファレルの1ファンとしてステージを見ながらずっと考えていた。

ファレルはまずプロデューサーとして評価され、売れた。
その後、その既成概念を打ち破ろうとしてフラストレーションをロックに発散したN.E.R.Dが評価された。
だが、そのN.E.R.Dはその後失速する。
N.E.R.Dはファレルのロックなフラストレーションの発散が評価されたわけではなくて、
ただ単にその奔放なサウンドが人々にとって気持ちよかったからだ。

そして、ダフト・パンクの「ゲット・ラッキー」のヒットなどで再びファレルに追い風が吹き、ソロのシングル「ハッピー」が大ブレイクする。
その流れで、女性に対する尊敬と感謝をテーマにしたアルバム『G I R L』も大ヒットする。
でもそれはそのアルバムのコンセプトが評価されたわけではなく、再び時代の流れで追い風に乗った「ハッピー」やアルバムのサウンドが人々にとって気持ちがよかったからだ。

この人は、時代の快感原則によって評価が決まる人なのだ。
言うまでもなくそれはポップ・ミュージシャンとして偉大なことだ。

でも、ファレルはそのことにとても無頓着なんじゃないか、と思う。


今回のライブはファレルの最新作『G I R L』のコンセプトに沿っていた。
女性に対する尊敬、女性に対する評価、女性への愛情、をテーマにしていた。
ステージ上には女性のダンサーが何人も登場して、大勢の観客をステージに上げた時も女性に重点を置いていた。
でも、客にとってはそれはファレルに求めることではないのだ。

ラストに「ハッピー」も「ゲット・ラッキー」もやってくれたが、
それでも今回のファレルはポップ・ミュージシャンとして的確に求められているものに向き合っているとは言えなかったと思う。
ファレルは、なんか、いつもそういうちょっとずれた部分がある。
だから、歯がゆかった、というのが正直な感想なんだけどね。
ZEDD以上に盛り上げることもできる人なのに、本来は。

僕はファレルのファンだから、そう思った。
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