ダフト・パンク解散について

ダフト・パンクの解散は、文字通りに、一つの時代の終わりを意味していると思う。
それは、「過去のリファレンスによってポップミュージックを最新にアップデートする」という、1990年代から2020年代の今に至るまでダフト・パンクのみならずDJ的な発想によって音楽シーンを駆動させてきた大きな基本公式の一つが無効になりつつある、ということなのだと思う。
70年代のナイル・ロジャースと10年代のファレル・ウィリアムスを繋いだ”ゲット・ラッキー”、80年代のジョルジオ・モロダーに10年代のエレクトロを着せた”ジョルジオ・バイ・モロダー、90年代フレンチハウスに乗せてロマンソニーが70年代ニューソウルを歌いこんだ”ワン・モア・タイム”、80年代ファンクのギターリフを元ネタにギラギラの10年代エレクトロ・ファンクを立ち上げた”ロボット・ロック”───
ポップミュージックのヒストリーそのものをメタレベルで再構築してポップス化するというダフト・パンクのセオリーは、あらゆる時代のあらゆる楽曲がデータ化されてストリーミング・サービスによって自由にリファレンスできるようになった今の時代において、もはやかつてほどの革新性が失われてしまったのだ。
ダフト・パンクが提示しなくても、SpotifyやAppleMusicのアルゴリズムがそれぞれのリスナーのそれぞれのデバイスの中でそれをやってくれるからである。

このインタビューで彼らは「イノベーション」という言葉を6回も使っているが、そのイノベーションがもはや自分たちの方法論の先に見い出せなくなったのだ。
だが逆に言えば、ダフト・パンク的セオリーとセンスは、もはや僕らが音楽と接する時の「リスナーとしてのデフォルト」になっている。
ダフト・パンクが生んだポップソングによって、僕らのリスナーとしての性能はつねに更新されてきたのだ。
ダフト・パンクという概念は僕らの感覚の中にインストールされている。
感謝に近いような気持ちを、僕は彼らに対して抱いている。

2001年、セカンド・アルバム『ディスカバリー』をリリースした直後に本誌が東京で行った2人のインタビューを再掲載します。
このとき2人はまだ26歳。
フォトグラファーNAKAさんによる撮影が終わってヘルメットを脱いで、ざっくばらんに長時間のインタビューに答えてくれた。
非常に面白い内容で、ある意味、彼らがなぜダフト・パンクをスタートさせて、そしてなぜここで終わるのかが、ある意味とても良くわかるようなインタビューになっている。(山崎洋一郎)


4月5日発売ロッキング・オン最新号に掲載の「ダフト・パンク・インタビュー(2001年)」リード文より
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