90年からやっているエレカシの日比谷野音は、言うまでもなくメンバーにとってもファンにとっても非常に大切なものだ。その思いが会場には満ち溢れていて、空気の匂いも光の色もいつもとは違う特別な雰囲気に包まれている。今年もそうだ。
でも今年の野音は、そんないつもの空気に包まれた日であると同時に、久しぶりにしか観れなくなったエレファントカシマシの貴重なライブの日でもあり、ソロ宮本の活動によって新たな意味を帯びたエレファントカシマシとしての表現の場、でもあったと僕は思っている。だから、メンバーでもないのに開演するまで異常に緊張した。
「過ぎゆく日々」から始まったライブは、ひたすら圧倒的だった。エレファントカシマシの真髄を見せつけるようなディープなセットリストも、キャリア最高峰に到達している宮本のヴォーカルの迫力も、久しぶりのライブに全身全霊で挑むメンバーも、凄まじい集中力で並走するサポートミュージシャンも、圧倒的なレベルの高さだった。
そしてそれと同時に、これまでのエレカシ日比谷野音ライブにはなかった、確信と洗練のようなものが今回の野音ライブにはあった。感情やエネルギーが渾然一体となったリアルで生々しい演奏でありながら、「エレファントカシマシはこれです」というような確信的で意識的な表現でもあった。そうした両面性のバランスが最も美しく感じられたのが「東京の空」だった。94年にも2014年にも同じくここ日比谷野音で「東京の空」は歌われたが、今回の「東京の空」は楽曲の文学性とバンドの年齢のバランスが取れて、鳥肌が立つような異常な説得力があった。近藤等則のトランペットのパートを弾いた細海魚のハモンドオルガンも凄い切れ味だった。この日は最初から最後までエレファントカシマシというバンドの絶対的価値をこれでもかと感じさせる瞬間の連続だったが、この「東京の空」はその中でも特別だったと思う。エレカシの日比谷野音、今年も素晴らしいライブだった。(山崎洋一郎)
エレファントカシマシ日比谷野音ライブを観て思ったこと
2022.10.02 17:38