激刊!山崎
2009.06.12 11:28
今月号のJAPANの「激刊!山崎」が、制作上のミスで読みにくくなっています。
申し訳ありません。
ここに再掲載するので、
読めなかった方は少し長いですが読んでいただければと思います。
「今月号の細美武士のインタヴューで気になる発言があった。
『人間の凄いきったないとこがやっぱ俺、凄い嫌で』
という言葉だ。細美はインタヴュー中や、ライブのMC、あるいは日記で、唐突によくこういう発言をする。
『一番悪い奴は“口だけいいことを言って実践しない奴”次に悪いのは“悪いことばかり考えてる奴”そうなりたくねぇんだ」
『頭を下げることを条件に優遇を手に入れる、そんなクソ野郎どもに中指立ててんのがなんにも持ってない俺たちの唯一の財産だった』
時には前後の脈絡を突き破って、こういう発言が飛び出してくる。だいたいは言った後に後悔したり、フォローしたりするのだが、それでもまたすぐに、ライヴのMCやインタヴューで唐突にこういう徹底的な闘争の姿勢を掲げてみせる。最初僕は、この人のここまでに強固な思想性とメッセージの源にあるのは何なんだろう、と不思議だった。でもそれが何なのかが、少しずつわかってきた。
細美は、人間の汚い部分を、本当に知っているのだ。
細美は、メディアを信じない。一部の音楽誌やラジオ番組のインタヴューしか受けてこなかったし、地上波のテレビ出演など一度もない。そしてエルレガーデンはメジャーデビューすることなく、ずっとインディーを貫いてきた。それ以外でも、エルレガーデンの活動のすべては頑な過ぎるほど頑なに、自分たちのルールを固持してきた。
細美は権力や組織を信じないのだ。それはどういうことかというと、世の中のほとんどの部分を信じないということだ。世界のほとんどのものは何らかの権力や組織とかかわりを持って存在している。何らかの権力や組織に属していると言ってもいい。もちろん人間だってそうだ。それを、細美はぶっ壊そうとしている。人間をそこから解き放とうとしている。そういう強い思想とメッセージを持っている。頭で考えついた思想やメッセージではなく、深く突き刺さって抜けなくなったナイフのように、その思想とメッセージはもう細美武士の肉体そのものになっている。では、なぜ細美はそこまで強い思想性を持つようになったのか。
ここからは僕の推論でしかないが、おそらく、細美は痛めつけられてきたのだ。いろんな形で、権力を帯びた人間や、組織の論理で武装した人間に痛めつけられ、身をもってその痛みを知っているのだ。その痛みを通して、細美は人間に取り付いたモンスターを見る。権力や組織の論理という「幻想」に縛られた人間の姿が嫌でも見えてしまうのだ。その幻想を、自分たちの音楽の力でぶっ壊そうとしているのだ。
殴られないと、その本当の痛みはわからない。そして痛みがわからないと、殴った奴を操っている暴力という怪物は見えない。見えない怪物とは闘えない。だから、痛みが見えないロックは面白くない。何と闘っているのかわからないし、おそらく何とも闘っていないからだ。
相手は所詮「幻想」である。勝てる。真実を突きつければいいのだ。武器など要らない。音楽がそれをできる。
深くナイフが突き刺さった、その痛みによって見えた真実で人間を解き放とうとする細美武士は、まったくぶれない思想を貫きながら新しいプロジェクトをスタートさせた」
という原稿を、僕は先月号の激刊!山崎のために書いた。でも自分でボツにした。あまりにも僕の推論にしか過ぎず、なのに断定し過ぎていると思ったからだ。だから、今回のインタヴューで僕は細美にそのことを直接訊いた。答えは、インタヴューで読んでもらったとおりである。細美は矢が刺さって傷を負った人間だった。その痛みは細美に真実を見せ、細美を変えた。細美がまるで自分の命よりも優先して音楽にすべてを捧げようとしているのは、その見えたものをみんなにも見えるように表現して、みんなと前に進もうとしているからだ。細美は「その日」から、表現者への道を歩き始めたのだ。
細美武士というアーティストの歩みは、物語である。その物語はまだ始まったばかりだと、僕はまたも勝手に思っている。