『007』シリーズ最新作、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(以下『NTTD』)の主題歌をビリー・アイリッシュが歌う! このニュースに驚愕したのは私だけじゃなかったはず。正式発表以前から噂はあったものの、58年の歴史を持つ伝統の『007』フランチャイズと、新時代と革新の象徴である18歳のビリーのコントラストが凄まじくて、俄かに信じがたかったからだ。もちろん史上最年少での主題歌抜擢で、『007 カジノ・ロワイヤル』から5作にわたってジェームズ・ボンドを演じたダニエル・クレイグの最終作の『NTTD』で、ビリーは大きな役割を果たすことになる。
そして遂に公開された“No Time To Die”がこれまた凄かった! 何が凄いって、ビリーが「『007』の主題歌とは何か」をきっちり理解・消化した上で、ビリー・アイリッシュらしく、そしてジェームズ・ボンドに相応しい曲を仕上げてきたのが凄いのだ。
「ジェームズ・ボンドは史上最高にクールな映画」「参加できるのはあらゆる意味でクレイジー」だと言っていたビリーと、「夢がかなった」というフィニアスの、同フランチャイズへのリスペクトが感じられるし、だからこそビリー・ファンはもちろんのこと、『007』×ビリーのコラボに戸惑っていたボンド・ファンも大絶賛の曲に仕上がったのだろう。
劇中のワン・シーンのようなしめやかなピアノ&ビリーらしい抑えたボイスから一転、これぞ『007』!という重厚なオーケストレーションに雪崩れ込む中盤、そしてボーカルをなぞる哀愁のギターもたまらない。ちなみにオーケストラのプロダクションは『NTTD』の劇中音楽も手がけるハンス・ジマーが手がけ、こちらも驚きのコラボになっている。ギターを弾いているのはなんとジョニー・マーだ。マーとジマーは『アメイジング・スパイダーマン2』以来のタッグとなる。ビリー、フィニアス、ジマー、マーはブリット・アワードのステージで“No Time To Die”を初披露、シックなモノトーンの空間でドラマティックな歌唱を轟かせる新境地に。
こうして劇中映像と合わさるとさらに盛り上がる。しかし、ビリーの『NTTD』主題歌抜擢は、実は諸手を挙げて歓迎されたものではなかった。例えば『NTTD』の公式Twitterアカウントの発表時のコメント欄をチェックしてもらえれば、ビリーに対するファンの賛否両論ぶりが明らかに見て取れるはず。
なぜ賛否両論だったのかと言えば、そこにはジェネレーション・ギャップがあったからだ。『007』フランチャイズのコアなファン層はアラフォー以上で、ビリー・アイリッシュ現象からかなり遠いところにいる人達であるのは否めないし、一方のビリーのコアなファン層であるミドル・ティーンは、『007』を1本も観たことがないという子が大半だろう。つまり両者にははっきりとした断絶があって、「『007』×ビリー」はどちらのファンにとってもど真ん中ではなかったのだ。
『007』にはいくつかお約束と呼ぶべき定型がある。例えばジェームズ・ボンドが振り向きざまに銃を撃つ「ガンバレル」、そして本編とは別の凝った独自ビジュアルと共に主題歌が流れる「タイトル・シークエンス」など、『007』と言えばこれ!という記号性がいくつもある。そんな『007』のお約束の世界は保守的と評されることもあるし、イアン・フレミングが冷戦時代に書いた小説を元にした、そもそもがクラシックなフランチャイズだ。もちろんビリーはお約束、保守的、クラシックといった形容のことごとく真逆をいくアーティストなわけで、前提として両者が水と油の関係であることはご理解いただけると思う。
ボンド・ファンの間では「ラナ・デル・レイが良かった」という声も根強く聞かれた。ラナ自身も前作『スペクター』の時に主題歌を歌いたいと熱望していた経緯もあり、確かに彼女ならば『007』らしさを巧みに再構築したモダン・ポップを作っただろうことは想像に難くない。
全25作の中でもとりわけ「『007』らしい」主題歌の傑作と言えば、やはりシャーリー・バッシーの“Goldfinger”だろう(『007 ゴールドフィンガー』、1964年)。バッシーは『007 ダイヤモンドは永遠に』(1971年)の“Diamonds Are Forever”も含めて豪奢なオケにスリリングな曲調、ソウルフルな歌唱という『007』主題歌らしさを極めた人だ。
ポール・マッカートニー&ウイングスの“Live And Let Die”(『007 死ぬのは奴らだ』、1973年)も名曲の呼び声が高い。これぞスパイ映画の主題歌!という激しいカーチェイスのようなシンフォニック・ロックだ。
『007』主題歌初の全米1位に輝いたのがデュラン・デュランの“A View to a Kill”(『007 美しき獲物たち』、1985年)。『美しき獲物たち』は3代目ジェームズ・ボンドを演じたロジャー・ムーアの最終作で、フランチャイズとしての転換期にあった一作。それに合わせて主題歌も趣が変っていて、以降どんどんバラエティを増していくことに。
趣が変わったと言えば、マドンナの“Die Another Day”(『007 ダイ・アナザー・デイ』、2002年)が凄い。「ジェームズ・ボンド? 私はマドンナよ」と言わんばかりのマド様節が炸裂したナンバーで、歴代主題歌の中でも異色を放っている。そしてコアなボンド・ファンにはあまり評判が良くない。
“Die Another Day”が悪いのではない。「そのアーティストの素晴らしい曲」と「『007』主題歌として素晴らしい曲」は別物だということなのだ。ちなみに『007 スペクター』(2015年)の主題歌として書くもボツになったレディオヘッドの“Spectre”も、このパターンだろう。オーケストレーションや歌詞からは彼らなりの『007』をイメージして作ったことは想像できるのだが、実際に完成した『スペクター』本編を観ると、監督のサム・メンデスがレディオヘッドの起用を断念した理由がよくわかる。
「そのアーティストの素晴らしい曲」と「『007』主題歌として素晴らしい曲」の両立という意味では、近年の最高峰はやっぱりアデルの“Skyfall”(『007 スカイフォール』、2012年)だろう。歌詞、タイトル・シークエンスのビジュアルまで含めて完璧だった。
話を戻すと、ビリー・アイリッシュの『NTTD』主題歌抜てきに当初は賛否両論だったもうひとつの理由は、『007』フランチャイズ自体が抱えたある問題に関係したものだった。例えば、主題歌発表のタイミングで英ガーディアン紙は以下の批判的なコラムを掲載している。曰く、「ビリー・アイリッシュは『007』のような埃をかぶった古臭いフランチャイズにはクールすぎる」というのだ。
https://www.theguardian.com/music/2020/jan/14/billie-eilish~
前述のように『007』はその保守性が時に批判されてきたフランチャイズなわけだが、近年はとりわけ風当たりが強い。「ディナージャケットに身を包み、美女を侍らせた色男のエージェント」としてのボンド像、物語の添え物を想起させる「ボンド・ガール」という呼称なども含めて(前作『007 スペクター』から「ボンド・ウーマン」に変わりつつある)、時代にそぐわなくなっているのではないかという批判だ。
ジェームズ・ボンドというアイコンの永遠の魅力の一方で、ダニエル・クレイグ自身も「ミソジニーの暴力男」であるボンドを批判していて、実際クレイグ・ボンド期の『007』は、同フランチャイズの前時代性を覆してモダンな価値を見出すべく格闘してきた作品群でもあった。クレイグが築いたハードでリアルなボンド像はフレミングの原作とも近いと言われ、同時に2000年代以降もサバイブできるフォーマットにアップデートされたものだった。でも、2020年代はもっと大胆な変化が求められる時代ということなのかもしれない。
だからダニエル・クレイグの最終作となる『NTTD』の大きな課題が変化、しかも抜本的な変化であることは必然だったのかもしれない。例えばクレイグの強い要望もあってフィービー・ウォーラー=ブリッジが『NTTD』の脚本に参加したのは、「変化」を象徴する大きなトピックだろう。ドラマ『フリーバッグ』で大ブレイクした彼女の起用は、「me too」の時代に相応しい『007』を作り、ボンドのアクセサリーではないリアルでタフな女性キャラクターを生み出すための秘策だったと言えるからだ。
また、新007を女性(ラターシャ・リンチ)が演じるというのも大きい。ちなみに監督のキャリー・フクナガは『NTTD』を任されたすぐに主題歌をビリーに歌って欲しいと思ったと語っていたが、つまりビリー・アイリッシュもまた『007』フランチャイズの埃を払う役割を期待されていたということだろう。ビリーは『007』にはクールすぎるのではなく、クールすぎるからこそ『007』の変化のために求められたのだ。
NO TIME TO DIE | Official Game Day Spot 2020
ビリーとフィニアスは“No Time To Die”をツアー中にわずか3日で作ってしまったという。ちなみに事前に脚本の一部を読み、歌詞のイメージを膨らませていったというから、非常にオーセンティックな映画主題歌の作り方をしているとも言える。「愛してしまったことが愚かなの?」と歌う“No Time To Die”のテーマはずばり「愛と裏切り」。それは秘密を抱えたボンドの恋人、マドレーヌ・スワンの視点とも、マドレーヌに裏切られたと感じるボンドの視点とも取れる。
この兄妹インタビューの中で、フィニアスは“No Time To Die”の制作に際して過去の主題歌を全て聴き直したと語っている。「過去の名曲で何が行われているかを知ることで、今回僕らが何を避けるべきかがわかるから。名曲のコピーにはしたくなかった」のだと。“No Time To Die”を聴くと、確かに彼のこの発言を裏付ける「研究」の跡が見て取れる。『007』主題歌に必要不可欠なエッセンスと自分たちに求められている「変化」を見極め、バランスを取り、采配し、ネオ・クラシックな名曲となった“No Time To Die”は、まさに温故知新の産物なのだ。
ジョン・バリーへのオマージュたっぷりのハンス・ジマーのオーケストレーションの中で、ビリーのビリーらしさ全開の歌声がしっくり馴染んでいくのも、「ビリー・アイリッシュのボソボソした歌声は盛り上がりにかけるのでは」という、ボンド・ファンの事前の危惧を跳ね返す新境地だ。その一方で、大サビで作品タイトルを朗々と歌い上げるという『007』主題歌のお約束をきっちりクリアしてるのも最高! ビリー・アイリッシュは革新や新世代を象徴する才能であると同時に、クラシカルなテーマにも適応しうる普遍的なソングライティングの才能の持ち主だということを証明したのが、“No Time To Die”の最大のポイントだと思う。
NO TIME TO DIE | NBA All-Star Game TV Spot
『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は4月10日公開。とにかく早く劇場で“No Time To Die”を聴きたくて仕方がない! 『007』の歴代タイトル・シークエンスはどれも凝りに凝っていて、単体の作品としても楽しい名ビジュアル揃い。そんなビジュアルと合わせて体験するとこのフランチャイズの主題歌が特別である理由が理解できるはずだ。ちなみに『007 スカイフォール』のアデル、前作『007 スペクター』のサム・スミスは共に同作主題歌でアカデミー賞歌曲賞を受賞している。グラミー賞を制覇したビリーに、『NTTD』が初のオスカーをもたらすことになる可能性も十分にある。(粉川しの)