『ホワッツ・ゴーイン・オン』に続く、幻のアルバム

マーヴィン・ゲイ『ユーアー・ザ・マン』
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ALBUM

マーヴィン・ゲイを聴いていると空間が歪み、魂をどこかに連れ去られそうになる。なぜ彼の音楽はこうも神々しく、そして異様なのか。その理由のひとつが70s以降のマーヴィンによる、ひとり多重録音が施されたボーカル・プロダクションの魔力だ。

自らの声でハーモニーを重ねることは、ありふれたレコーディング手法だが、マーヴィンのそれは普通ではない。メインに合わせてハモるだけではなく、異なる主旋律が何人ものマーヴィンによって同時に歌われ、時に絡まり、ぶつかりながら、曲の中に降り注いでは蠢くのだ。

その旋律はクラシック音楽のように計算された対旋律ではなく、無意識下からあふれ出た呟き、自動手記のようなメロディーで、とことん個人的であるがゆえに、すべての人の魂に触れてしまう。この感覚は現代のフランク・オーシャンまで繋がるインナー・トリップR&Bの始祖に他ならない。

この手法を彼が確立したのは1971年の名盤『ホワッツ・ゴーイン・オン』だったが、今回発掘されたアルバムはその翌年に発売が予定されていた幻の作品群だ。

泥沼化するベトナム戦争、環境汚染、貧困問題など当時のアメリカが抱えた社会的な闇を正面から取り上げ、大ヒットを記録した『ホワッツ・ゴーイン・オン』。その路線を継承し、「政治と偽善者どものせいで、みんな正気を失いつつある」とストレートに歌ったタイトル曲を先行シングルとしてリリースしたものの、大ヒットの兆しがないことに落胆したマーヴィンが、続くアルバムを引き下げ、お蔵入りとしてしまったのだ。

これらの曲は彼の死後、未発表曲として様々な形でバラバラにファンの耳へと届けられたが、今回ひとつのアルバムとして聴くと、音楽的にプログレッシブな領域にまで達していた『ホワッツ・ゴーイン・オン』ほどの革新性はなく、むしろ60sマーヴィンを思わせるオーソドックスなスタイルと折衷した楽曲が多いことに気づかされた。

これを機に彼は社会問題から離れ、「どんな女性も、僕を連れて行ける唯一の場所は地獄だ」と語り、死ぬまでこだわった個人的問題「性愛」の泥沼へと踏み込んで行く。そして続く2作『レッツ・ゲット・イット・オン』、『アイ・ウォント・ユー』で新たな革新を遂げるのだ。今作にはそこへ至るまでの助走が、ウィリー・ハッチ、フォンス・マイゼル、ハル・デイヴィス、スモーキー・ロビンソンらとのコラボレーションによって、素晴らしい佳曲群として記録されている。 (片寄明人)



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ディスク・レビューは現在発売中の『ロッキング・オン』6月号に掲載中です。
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『rockin'on』2019年6月号