pic by Anna Maria Zunino Noellert

《私の名前はジョヴァンニ・ジョルジオ。だが、人は私をジョルジオと呼ぶ》。ダフト・パンク“Giorgio by Moroder”冒頭の語り部分を、そんなふうに締め括ったジョルジオ・モロダー。なぜその名は、「ぼく、ドラえもんです」とか「オッス、オラ悟空!」並の強烈な記号として響いたのか。御歳75を数えるイタリア出身の伝説的プロデューサーが、実に30年以上ぶりとなるアルバム『デジャヴ』をリリースする。最初は、恐る恐る触れたというのが正直なところだ。しかし数曲を聴いて確信した。鮮やかにアップデートされたディスコ・ミュージックでありながら、その音像には目眩や身体の震えを伴うほどの既視感が横たわっている。忘れかけていた大切なもの、と言い換えてもいいだろう。ブリトニー・スピアーズの名曲カヴァーや、ケリスの驚くべき嵌りっぷりといったコラボ・ワークにはぜひ触れて頂くとして、この特集では「ジョルジオ」の記号が象徴するものの一部を、辿ってみたい。

(文=小池宏和)

シンセサイザー・ディスコの創造主

Donna Summer “I Feel Love”

「ディスコの父」ジョルジオ・モロダーについて真っ先に思い浮かべるのは、後に「ディスコの女王」と呼ばれることになるドナ・サマーを世に送り出した功績だろう。60年代からヨーロッパで活動していたアメリカ人シンガーのドナ・サマーは、ジョルジオ・モロダー&ピート・ベロッテというプロデューサー・チームのサポートを受ける形で、米国そして全世界でのヒットを飛ばすことに成功した。ミディアム・テンポの官能的なナンバー“Love to Love You Baby”(1975年。アルバム・ヴァージョンは17分にも及ぶディスコ仕様)や、シンセディスコの決定打“I Feel Love”(1977年)、US1位の“Hot Stuff”(1979年)など、ディスコ・ヒッツは枚挙に暇がない。

シーンへの復帰

Daft Punk “Giorgio by Moroder”

ダフト・パンクが『ランダム・アクセス・メモリーズ』において、ナイル・ロジャースと共にジョルジオを招いたのは象徴的だった。ダフト・パンクは音楽や映像作品を通して、テクノロジーと生身の肉体/精神の関わりを探求してきたグループである。ご丁寧にもジョルジオの自己紹介から始まる“Giorgio by Moroder”では、彼が「未来のサウンドであるシンセサイザーを用いて」ディスコ・カルチャーに関わっていった頃を回想している。米国のファンク・グループやフィリー・ソウルのビッグ・バンドについても熟知していた(からこそ売れた)ジョルジオは、いわば「テクノロジーと生身の肉体/精神」の在るべき姿を伝える、最高のディスコ教師なのだ。

ディスコ教師の現在

Giorgio Moroder DJ Set in Vienna (2013)

ジョルジオは近年、DJとしても活躍している。ドナ・サマー“Hot Stuff”から始まるこのビデオのプレイは2013年のもので、映画『ミッドナイト・エクスプレス』の“Chase”にブロンディ“Call Me”と、自身のプロデュース曲を連発して大いに盛り上げている様子が窺える。同年には「WIRE13」や単独公演での来日も果たしており、2012年に他界してしまったドナ・サマーを追悼する一幕に感涙、生「語り」の“Giorgio by Moroder”には大笑いした。なお、映像ではジョルジオ1人だが、来日時はクリス・コックスに機材の使い方を教わりながらのプレイがお茶目であった。先日、知人がその姿を思い返して「博士と助手」と説明していたが、余りにも的確である。

現在のディーヴァたちを招いた
『デジャヴ』

ドナ・サマー亡き後のディスコ・クイーン=カイリー・ミノーグは、80年代ユーロビート・ポップの時代にストック・エイトキン・ウォーターマンのプロデュースでヒットを飛ばした。そのSAWのルーツにあるものこそがイタロディスコであり、ジョルジオである。“Right Here, Right Now”でカイリーはルーツと運命の出会いを果たし、ジョルジオを自身のステージにも招いている。また、アルバムのセカンド・シングルでありタイトル・チューン“Déjà Vu”を任されたシーアは、かつてジョルジオが渡り合ってきたデヴィッド・ボウイやフレディ・マーキュリーといった巨大な才能を思い起こさせる。名プロデューサーたるジョルジオの血も、騒いだのではないだろうか。



Giorgio Moroder “Right Here, Right Now ft. Kylie Minogue”


Giorgio Moroder “Déjà vu ft. Sia”

映画音楽の分野でも大活躍

Kenny Loggins “Danger Zone”

ディスコ・ヒッツのみならず、映画のサントラやテーマ曲でも知られることが、ジョルジオの凄さだ。アラフォー以上の世代にとっては、あれもこれも知ってる、という名曲だらけである。先の『ミッドナイト・エクスプレス』をはじめ、『アメリカン・ジゴロ』に『フラッシュダンス』、『ネバーエンディング・ストーリー』の舞い上がるようなテーマ曲、ケニー・ロギンスが歌う『トップガン』の“Danger Zone”も然りである。SFファンにとっての超重要古典『メトロポリス』は、幻のフィルムをジョルジオ自らが収集・再編集し、フレディ・マーキュリーやジョン・アンダーソン、アダム・アントらを招いた豪華サントラと共に公開するという、力の入りようであった。

音楽産業への貢献〜
ミュージックランド・スタジオ

The Rolling Stones “It's Only Rock 'N' Roll (But I Like It) ”


The Three Degrees “Givin' Up Givin' In”


60年代後半、ジョルジオは当時の西ドイツ・ミュンヘンに活動拠点を構え、ミュージックランド・スタジオを設立する。彼自身の創作現場となったのはもちろんのこと、ザ・ローリング・ストーンズ『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』、レッド・ツェッペリン『プレゼンス』、エレクトリック・ライト・オーケストラ『ディスカバリー』といった、ロック史上に燦然と輝く名盤群のレコーディングもこのスタジオで行われた。また、フィリー・ソウルの看板ヴォーカル・グループだったスリー・ディグリーズにシンセディスコの道を拓いたことは、大きなヒットには恵まれなかったものの、米国と欧州のディスコ・ミュージックに歴史的かつ具体的な接点をもたらした。

国境と世代を越えて〜その1
シンセポップのパイオニア

Hot Chip “Huarache Lights”

ジョルジオの作品が、後世に及ぼした影響の大きさは計り知れない。ニュー・オーダーはディスコ・チューン“Blue Monday”でイアン・カーティスの死に向き合ったし、アンダーワールドは“King of Snake”で“I Feel Love”をサンプリングした。ジェフ・ミルズは独自に『メトロポリス』のサウンドトラックを制作し、映像と合わせたショウを行っている。ダフト・パンクは言わずもがなである。21世紀のシンセポップをリードしてきたUKのホット・チップは、情感溢れるディスコ・サウンドにしなやかなダンス・グルーヴといった、ジョルジオを彷彿とさせる音楽性を持ち味としたバンドだ。“Huarache Lights”は、今年の最新作『ホワイ・メイク・センス?』に収録。

国境と世代を越えて〜その2
愛がディスコを蘇らせた

電気グルーヴ “FLASHBACK DISCO”

「WIRE」が15周年を迎えた2013年に、ジョルジオが招かれたことは感動的だった。そこには、電気グルーヴやDJ TASAKA、KAGAMIらが、テクノやヒップホップの文脈を通してディスコ・ミュージックへと寄せ続けてきた愛の物語があった。華やかな享楽性が人気を博す一方で、ディスコ文化は保守的な人々からの強い反発にも晒されてきた。世代を越えた愛が、新しい形で、ディスコ・ミュージックとジョルジオを蘇らせたのである。その愛は、tofubeatsら若い世代にも受け継がれている。それにしても、超ヒット・メーカーのプロデューサーで、映画音楽も手掛け、ディスコ・カルチャーに深く関わってきた人となれば、小室哲哉はまるでジョルジオみたいだ。

提供:ソニー・ミュージックレーベルズ

企画・制作:RO69編集部

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