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未だにみんな大事にしてくれるけど、でもやっぱりしんどいなあと思うことだってあったわけだし。解散もあったからね。でも今はずーっとあと20年、30年やりたいなってすごく思う(伊藤)

──ファーストってやっぱりすごく衝動性のある、「KEMURIはこんなバンドなんだぞ」っていう名刺代わりの1枚だったと思うんですけど、セカンドってもっと自由に、スカパンクを鳴らしながらKEMURIの精神性を世に知らしめていく、そういう勢いがあるアルバムじゃないですか。だから「PMA」っていう言葉を曲に乗せたんだと思いますし。「自分たちはこういうバンドなんだ」っていうのを、ファーストでやり切ったからこそ、さらに自分たちをさらけ出せたアルバムなんじゃないでしょうか。

伊藤 やっぱりファーストアルバムを作る前に何年かあったわけですよね。まあたかだか2年ぐらいのもんだけど、一番最初に曲作ってから録音するまで約2年あったわけだよね。ところがセカンドアルバムはそれが半分ぐらいになったのかな。セカンドアルバムってファーストを超えられないって言われるのはやっぱり、そういう時間的なものってあるんじゃないかなと思うんだけど。それでも幸運なことに、ほんとにKEMURIの大大代表の“PMA”が、セカンドアルバムに収録されてる曲の中でもすぐにでき上がって。何回も作り直したわけじゃないしね。ブラッドがやるって言ったのを、みんなで「せーの」で作ったっていう感じだから。ググググッと曲が頭角を現わしてきたっていうか。そういう力強い曲だったんじゃないかな。

平谷 あの時は、ホーンズも全部入れ替わって、Tも南(英紀)と変わってっていう。で、もうアメリカツアーに行くことが決まってて(笑)。

伊藤 よくやったなあと思う。

平谷 新しいバンドを作ったような気分だった。

伊藤 誰が何ができるんだかまったくわかんなかったもんね。僕とブラッド、平谷庄至の3人だけだからね。

──じゃあ次は“白いばら”に関して訊いていきたいんですけれども、これは事故で亡くなった森村亮介さんの追悼曲で。

伊藤 これもまたねえ、楽曲の力っていうか、“白いばら”って最初違う曲だったんですよ。庄至くんが作ってきた曲に、僕がこの“白いばら”の歌詞をつけて。そしたらレーベルが、この曲をリードにしようって言ったんだよ。事故のすぐあとで、この曲が一番心に来るから。ほぼ歌詞はこれだったんだけど。

──曲がまったく別ものだったんですか?

伊藤 全然別もの。でも大変失礼ながら、その庄至くんの曲はまったく覚えてない(笑)。

平谷 はははは。でもあれはアルバムに入ったよね。最初デモで録ってたような気がする。

コバヤシ たぶん曲は“Reality Bites”で“ちゃんとさよなら(Chanto-Sayonara)”っていうタイトルだったと思うんですよ。

伊藤 “Reality Bites”だったっけ? おーお、それは忘れてました。だけどなんかそういう、もともと庄至くんのメロディで思いついた歌詞がそういう話になったから、津田紀昭の曲になって、それがまた代表曲になったっていう。すごくなんかこう、おもしろい歴史があるわけですよね。

──その形を変える前の曲のタイトルが“ちゃんとさよなら”だったっていうのが、すごくいいですね。この曲の背景を思うと、ファンとしてもちょっと辛くなるとは思うんですが、このワンフレーズはほんとにいい言葉だなあって思います。

伊藤 今思うと、みんな客観的には見れてるけど、やっぱり当時はなぜか庄至くんたちが郡山に着いてないとか、なんかこう不穏な空気に溢れてた。で、ブラッドと南はホテルで待ってたんだよね。コバケンとノゾムと俺とスタッフで行って。最初亮介に会って、次に庄至くんに会って。で、それをなんて言おうっつって。亮介の家族とかに連絡して、ブラッドたちのとこに帰って――あの感じっていうのは、なんかこう、ちゃんとやんなくちゃ、ちゃんとやんなくちゃって──まあ未だにそれはあるけど、ずーっと自分が言われ続けてた「ちゃんとしなさい!」みたいな。それがすごくね、ちゃんとちゃんとちゃんと、ちゃんとさよならしなくちゃなあみたいなところで来たのがあったんじゃないかな。でもまさか、それがのちのちいろんなこととリンクして意味を持つようになるとはまったく思わなかったですけどね。もっと刹那的にやってるからね。今もそうだけど。まさか20年続けましょうって思ってやったことじゃないし、20年後もこうやって歌ってると思わないしさ。不思議なもんですよ。

──でもきっと最初の頃はKEMURIを続けていきたいっていう気持ちはありましたよね。20代、30代の時は5年後もやってたいな、10年後もやってたいなとか。

津田 あっただろうね。

伊藤 やっぱり楽しかったしさ、人気もバアッて出て、まあ未だにみんな大事にしてくれるけど、でもしんどいなあと思うことだってあったわけだし。解散もあったから。でも今はね、ずーっとあと20年、30年やりたいなってすごく思う。だから半ばこう使命感的に、ずーっとやんなくちゃ、この場は大切にしなくちゃって思いますよね。

みんな必ず年は取るし、どんなバンドも必ず飽きられて、必ず時代の波を食らう。これはもう普遍的なことだから。驚き以外の何ものでもないですけどね(伊藤)

──いったんKEMURIをやめた時も、後悔はきっとなかったと思うんですよ。やっぱり必然的に、あの場は解散しなければならなかったといいますか。

伊藤 解散の時に後悔っていうのはあんまりなかったんですよね。今思うとね、ほんと必要なことだったとしか思えない。だから不思議なもんですよね。新しく録音することで、いろんなことを振り返らされてる部分は、みんなすごくあるんじゃないかな。 “Ato-Ichinen”歌えばふたりでやったこととか、庄至くん入ってきた、Tがやめてった、コバケンが入ってきた、いろんなことをどうしても振り返っちゃうから。で、いやいや、前向かなくちゃって。そういう意味ですごくおもしろい作業でしたけどね。

──当時は解散が必然だったように、復活したのもまた必然だし、さっきふみおさんがおっしゃってた、20年後も続けたいと今思っているのも、もしかしたら今のKEMURIの必然なのかもしれないですよね。

伊藤 いろいろ考えるとね。これ余談ですけど、再結成はもう、ゼロパーセント以下だったと思うんだよね。みんなそうだと思うけど。やめたあと、ほんとにそう思ってたから。だけど東日本大震災っていう、すごくこの国がダメージを受けた自然災害が起こっちゃったから。それがきっかけで再結成でしょ。だからまあ今はね、やってて楽しいし、ずーっとやりたいって思ってるけど、あれがなかったら可能性はゼロだったから。だってハイスタだってAIR JAMやらなかったわけだから。だから、何が総合的に見て良かったのか、ちょっとよくわからないけど、一番近いとこの自分たちの気持ちっていうので言うと、これからもずーっとやってたいなっていうところに向いてるし、ちゃんとやんなくちゃってのは、そういう感じだけどね。みんな必ず年は取るし、どんなバンドも必ず飽きられて、必ず時代の波を食らう。これはもう普遍的なことだから。驚き以外の何ものでもないですけどね。だってライヴとかさ、KEMURIが『77 Days』を作った頃に生まれてないぐらいの子とか、高校生とか来たりするんだもんね。

──それこそ2世代にわたって来てたりする人たちもいますもんね。そういう現状のなかで、9枚目のアルバムと10枚目のアルバムからの曲を入れたっていうのは、今のKEMURIを知ってほしいっていうことに繋がるってことですよね。

伊藤 そうですそうです。

──しつこく繰り返してしまうんですが(笑)、初期のKEMURIと今のKEMURIにはほんとに差がなくて。バンドの精神性をとことん貫いてるし、その姿勢に信頼感もありますし。

伊藤 いやあ、ねえ、それはみんながしっかりしてるからですね。俺なんてダメダメだから。ブレるし。基本的にイエス・ノーのノーがないんですよ。なんでもやってみようっていうタイプなの。今ほんとにいいスタッフにも恵まれて、非常にバンドに対して誠実なリリースプランとかいろんなものを提示してもらって、それがうまくバンドにとってもワークしてるってのはあるんだけど。まあやっぱりそれがうまくワークしないっていう時はあったりするわけ。さっきの“白いばら”の話じゃないけど、バンドの総意として、やっぱりノーって言ったっていう、そういうことだと思うんだよね。だから、そういう意味でのブレるっていう。そういうのも含めて、やっぱり僕にとってメンバーがそうであるように、僕らにとってレコーディングスタジオの人とか、今回アメリカに行った友人たちとか、周りのバンドの人たちとか、KEMURIは結構人に恵まれてるんですよ。ファンの人にもそうだしね。そういうところで再結成したあとも、言い方悪いけど、みんながこう出戻ってきたというか(笑)。そのなかでやった楽曲も、しっかり今のKEMURIとして聴いてもらいたいっていう気持ちがやっぱりあるね。

──今日話を伺ってて、昔の曲を新録したことで、今までの作品作りがちょっと変わったというか、「今のKEMURIを出す」っていう意味でのニューアルバムに向かう気持ち、そういうものが11枚目のアルバムに対して強く出たのではないかと思うんです。

伊藤 うん、変わったね。僕は新しいアルバムの歌詞を同時進行で書いてたんだけど、今回は最後の最後までほんとにひとりで言葉を精査したの。何回か歌詞変えたよね。

津田 そうだね。

伊藤 津田の曲とか庄至くんの曲、まあTの曲もそうか。最後の最後まで、もう歌入れしながらも変わったんだけど、それは確実に、他者性なくやってたファースト、セカンドの頃の曲を歌ったっていうのはすごく大きいですよね。うん。こういうことを歌ってたのかって改めて気づくものがあった。

──なるほど。このベストを経て、11枚目のアルバムに込められた「言葉」がどうして変わらなければならなかったのか、その話に関してはまた次回の『ROCKIN’ON JAPAN』の誌面インタヴューで聞かせてください。

伊藤 はい。

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