a crowd of rebellion・小林亮輔ソロインタビュー! 3rdフルアルバム『Ill』に注ぎ込まれた半生に迫る

a crowd of rebellion・小林亮輔ソロインタビュー! 3rdフルアルバム『Ill』に注ぎ込まれた半生に迫る

僕が歌を好きになれたのは、歌が歌えなくなってしまった爺ちゃんのおかげ


――世の中的に見れば、ラウドシーンだけじゃなくて音楽シーン全体を見てもなかなかいない、エンジェルボイスの持ち主なわけですけども――。

「いやそんな、僕なんか……お母さんに感謝ですよ。前作に“Nex:us”っていう曲があって、あの曲のサビのトップのキーが、バンド史上一番高いんですけど。あの時のキーがどうやら、僕が4歳の時に『ママ』って言った時の声とまったく一緒らしくて(笑)。『聴いたよ! あんた、本当に声変わりに失敗したんだね』って言われました(笑)。母親がすごいんです、僕がすごいんじゃなくて」

――(笑)。「俺、歌が好きだなあ」って自覚的になったのはいつ頃でした?

「親の話によると、僕は2歳とか3歳の頃から――死んだ爺ちゃんの家にマイクとアンプがあって、そこでめちゃくちゃ歌ってたらしくて。爺ちゃんは喉頭がんで喉を取っちゃったんですけど、死んだ後に爺ちゃんと一緒に童謡を歌ってるカセットテープが出てきて。『ああ、僕が歌を好きになれたのは、歌が歌えなくなってしまった爺ちゃんのおかげなんだな』って。そこからずっと歌が好きで。母親の車に乗ってたらもう、ポケットビスケッツとか槇原(敬之)さんとか宇多田ヒカルさんとか、カセットで聴きながらずっと歌ってました。小学校の時は、合唱とか音楽の授業で一生懸命歌って『うわ、あいつ』って言われるタイプの奴でしたね。中学に入ってからは、ひとりでカラオケに行ってずっと歌ってたりとか。あと、ちっちゃい時はめちゃくちゃナルシストでしたね。今はこんなダメダメ言ってますけど、『俺はすべてが素晴らしい!』と(笑)。今は実家は全然裕福な家庭ではないんですけど、当時はお金もあって、ちょっといい美容院も行って、他の家にはない音楽を再生する機械もあって、マイクもあって、ギターもあって。そしてこのビジュアル、最高だろ?みたいなクソガキだったんです(笑)。人のものはすぐ手を上げて取る、俺が最強!みたいな」

――その「俺様最強」な時期はいつぐらいまで続いたんですか?

「幼児から、小学3年生ぐらいまでですね。そこからどんどん、小学校のちっちゃい社会みたいなものができていって、磨耗してすり減っていって、環境もいろいろ変わっていって、初めて自分っていうものに気づかされた時に、『ああ、俺はクソみてえな奴だ』ってなったんですよね。でも、その間も歌はすごく好きで。歌も『俺は超上手え』って思ってたんですけど、いざ音楽をやってみたら、上には上がいるし。社会を知って、心がすり減って、歌っていうものにもどんどん自信がなくなっていくんです。小学校の卒業文集に『将来なりたいもの:木』って書いてましたからね(笑)。そういう人間だったので、周りからどんどん無視をされていくわけですよ。でもそれはきっと、僕がやったことが悪かったんですよね。で、みんな離れていったんですけど、3〜4人ぐらい友達はいてくれて。その子たちと中学の文化祭で何かやろっか、ってバンドを初めて組んで――Janne Da Arcの曲をやったその翌日に、どういうわけかモテ始めちゃったんですよ。おしゃれとか何もわかんないから、前髪全部ストレートみたいな奴が、文化祭でギターソロをやった翌日からラブレターとかもらうようになって。『嘘だあ』と思って。『俺死んだんだ、これは死後だ』って(笑)。とはいえ、そこからちょっと自信はもらったんですよね。人前で何かをバーッとやることって、見え方を変えてくれるのかなって、一筋の光みたいなものが自分の中に差し込んできたんですね。で、中学を卒業するちょっと前ぐらいに、ネットでメンバー募集をして、自分でちゃんとバンドを始めた感じですね」


「今やってる音楽を曲げろ」って言われたらやめる覚悟でこの人たちとやってる


――今回、他のメンバーが小林さんの物語を核に据えようと思ったのは――想像ですけど――そうやっていろんな局面で音楽に救われてきた小林さんの気持ちやリアリティを、バンドの表現の中にフィードバックすることで、リベリオンの音楽が今まで以上に、聴いてくれる人の救いになれるんじゃないか?という期待感があったんだろうと思うんですよね。

「そうなんですかねえ……でも実際、僕にとって他のメンバーは音楽なんですよ。僕にとっての音楽で。僕が音楽として成立することで、やっぱり僕は4人に救われてきたんで。その音楽たちに救われて、僕も音楽になれたというか。だから、託してくれたっていう感じはあるんじゃないですかね。それこそ僕が精神的にダメだった時とか、わざわざみんなで集まってくれて、『家族なんだから』っていう言葉をかけてくれたから僕は続けられてるし。こんな僕でも、救いになれたらいいんですけど……なれるのならば、なりたいです! でも、まだまだ足りないので。もっと俺は泥水を飲まないといけないし、もっともっと痛いことを知らないといけないし。まだやれると思うんで。『まだやれる』と思わせてくれたのも、今回の作品もそうですし、メンバーも、お客さんもそうですし……救われてますね、はい」

――《叶わない願い 描いたって/また駄目になったって/讃えよう さあ、サイン》(“Sign.”)っていうフレーズも、小林さんが救われてきた物語性とリンクしてるような気がしますね。

「ありがとうございます。こんな明るい曲、初めて書きました(笑)。『死んで楽になりたい』とか言うのは簡単ですけど、本当にそうなってしまった時って悲しいじゃないですか。僕もそういうことをしそうになったこともあったんですけど……単純に生きてほしいな、生きて話そうよっていう。そういう死生観もそうですけど、バンドを続けていくこととか、辞めることとか――バンドって辞めることも結構難しいですけど。積み重ねてきたものが一気に崩れることですから。でもそれ以上に、続けることってもっと難しいなあと思うんですよ。そういう意味合いも含めて、『辞めないで生きていってくれ』って。終わったら終わりなんで」

――「終わるくらいなら」っていう、ギリギリの希望ですよね。

「その通りですね。今回は一貫してそうかもしれないです。最後の“THE TESTAMENT”っていう曲も――『TESTAMENT』は遺書っていう意味なんですけど、これは単純に、今やってるバンドのことですね。俺たちはやりたいように俺たちの音楽をやってるし、『今やってる音楽を曲げろ』って言われたらやめる覚悟でこの人たちとやってるんで。それが別に他の人から『半端だ』って言われても、全然悔しくないですよっていう。サビの最後に《未完で散って悔い無し》っていうフレーズがあるんですけど、その通りで」

――遺書という名前の決意表明、強いですよね。《世界も置いて走って逝け》って。

「こんな言葉、書くと思いませんでした(笑)。《愛せる》とか絶対書かないと思ってたんですけど。まず、愛せるようになんねえとな、すべてのものをって。音楽もそうですし。ちょっとでも楽しいこと、好きなこと、愛してるものがあれば、明日が来るんじゃないかなって――最近そういうふうに思っちゃって、『あれ? 俺、丸くなっちゃったかな?』って思ったりもするんですけど、バリバリ尖ってるんで(笑)」


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