東京都府中市出身の4ピースバンド・koboreにとって初となるフルアルバム『零になって』が、1月23日にリリースされた。感情の起伏を誘発するドラマチックな歌詞と、勢いこそあれど圧迫することのないメロディとの融合で聴き手の想像力を刺激する彼らの楽曲。今作ではこれまでのkoboreにはない新境地も垣間見えるが、さらに深化していく彼らは一体どんなバンドなのか? 作品についてはもちろん、バンド結成当時のエピソードから今後の展望まで、メンバー全員に話を訊いた。
インタビュー=峯岸利恵
俺がこうやって!って言ったらそのまま弾いてくれそうな人を誘いました(笑)
――まず、バンド結成の経緯を教えて下さい。
佐藤赳(Vo・G) 俺と安藤と田中は同じ高校の軽音部だったんです。3人とも歳が1個ずつ違うんですけど。やっていたのはコピバンなんですけど、3人とも別々のバンドを組んでいて、俺はKANA-BOONをコピーしてました。
田中そら(B) 俺はDOESとかチャットモンチーとかやってましたね。
安藤太一(G・Cho) 僕はONE OK ROCKをやってました。
佐藤 府中東高校っていう、軽音部のレベルが高い高校だったんです。でも大抵同年代でバンドを組んでたんで、お互いほとんど喋ったことはなかったんですよね。それで、俺がもともと弾き語りをやってたんですけど、「これをバンドサウンドでやったらどうなるんだろう?」って思い立った時に、暇そうにしていたふたりを誘ったっていう……。
田中 暇じゃなかったわ(笑)。
佐藤 こいつは当時高3で受験期だったんです(笑)。でも、田中は後輩で唯一絡んでた奴で。ベース上手くて、でも目も合わせられないような面白い奴だったんで誘いました。安藤はTwitterで「サポート募集してます」って呟いてたのを見掛けて、あぁこいつでいいやって誘いました(笑)。フォローもしてなかったんですけど。
――誘うほうも誘うほうですけど、誘われたほうもよく乗っかりましたね(笑)。プレイスタイルや音楽に対する姿勢に惹かれたわけではなかったんですか?
佐藤 いや、まったく! お互いコピバンしかやってなかったんで、プレイとかそういう次元じゃなかったです。単純に暇そうだったんで誘いました。どれだけ上手いとか関係なくて、マジでやらなさそうな、言う事聞いてくれそうな人。俺がこうやって!って言ったらそのまま弾いてくれそうな人を誘いました(笑)。
田中 実際そんな風に誘われてないですけどね(笑)。LINEで結構熱い文章が送られてきましたし。遊び感覚でバンドをやろうと思ったっていうのは後日知りましたね。もう、最低な男ですよ……(笑)。
安藤 僕は誘われたタイミングでギターを弾きたかったので入りました。他のバンドでボーカルもやってたんですけど、ボーカルをやりたくて歌ってたわけではなくて。その時はとりあえず経験だ!と思ってやってましたけど、やっぱりギターを弾きたいなと思って誘いに乗りました。でも赳が最初からいい曲を書いてきてたので、遊びで、という感じではなかったです。
佐藤 僕は完全に遊びでしたね(笑)。
――伊藤さんはサポートドラマーを経て、2017年に正式加入されたんですよね? どういった流れで加入に至ったんですか?
伊藤克起(Dr) 出会いとしては、前のバンドに居た時にイベントで彼らと対バンしたことがあったんです。
佐藤 その時は「ワンオケロック」っていう名前で出てたんですよ、ONE OK ROCKの曲全然やんないのに(笑)。今のkoboreの曲もめっちゃやってたし。で、その時にめちゃくちゃドラムが上手いヤベぇ高校生がいる!って気づいて。その時には、入ってもらうってことは頭になかったんですけど。そしたら当時のドラムが「バラードじゃなくてデスコアやりたい」って言い出して、結局抜けることになって。そのタイミングで、彼をサポートとして誘いました。
伊藤 もともとのバンドが結構なぁなぁになってたし、自分自身将来的にドラムをやってくか悩んでた時期だったんです。その時に「とりあえず年内までサポートでやらない?」って連絡が来たんですよ。koboreのライブには行ってたし、音源も買ってて、実は僕の両親もkoboreが好きなんですよ(笑)。なんなら、両親のほうが俺よりも早くサポート加入の決断してましたね。「声かけてくれてるんだからいけるよ!」って(笑)。
佐藤 俺は伊藤の両親が俺達のライブに来てくれてることも、伊藤が前バンドで上手くいってないことも全部知ったうえで、計画的に誘いました。それで伊藤が高校を卒業するタイミングで前バンドを解散させることになって、そこから正規加入してもらいました。伊藤が入ってから1発目のライブが「ビクターロック祭り」の幕張メッセで、加入が決まった直後にTHE NINTH APOLLOのTSUTAYA O-EASTでのイベントに呼んでもらったりして、もうビビったっすね(笑)。でもそのあたりから、やっと今のkoboreが始まったという感覚です。
1stフルアルバムにして、最大の苦しみの1枚。絞り出した作品です
――現在の4人になってから最初の作品が1stミニアルバム『アケユク ヨル ニ』ということですが、それまでの楽曲との変化はありました?
佐藤 単純に、明るくなりましたね。最初は《もし俺が死んだら》なんて歌ってたので、その頃に比べたら今はイキイキしてますね。当時の曲は今じゃ聴けないです。変化のきっかけとしては、完全にライブをしすぎましたね。その環境の中で《死ぬ》なんて歌ってる場合じゃないというか。当時はライブを月に20本くらいやってたし、その半分は地元のライブハウス(=府中Flight)でやってて。チケットも自転車で配りに行ったりして、本当にローカルでやってましたね」
――作詞は佐藤さんが担当していますが、曲作りに関してはどういった工程で作られるんですか?
佐藤 土台を僕が作っていって、スタジオに入って皆で話し合って作っていく感じです。
田中 作品によっては結構意見がぶつかったりしますね。
――今作『零になって』ではどうでした?
佐藤 『零になって』はツアー中に全部作ったんで、もう2日酔いすぎて(笑)。各自アレンジを作ってきて、スタジオでボン!と合わせるっていう作り方でした。もう時間がなさすぎて、スタジオで皆で詰めていく暇もなくて。僕がドラムまで音を付けてきて、あとはもうそれぞれがオリジナリティを入れてくれ!っていう無理なお願いをしました。だから今回はめちゃくちゃ特殊ですね。ヤバいくらいエグかった。
伊藤 俺は結構楽しかったけどね。
佐藤 ほんとに? 2日酔いじゃなかったからじゃない?(笑)。
田中 俺は辛かったっすね。
安藤 そうっすね……今回メインリフを赳ががっつり作ってきたので、そこに寄り添うように展開していきました。
佐藤 僕はツアー中に各地でオフを楽しめないのが一番嫌で。だから現地で遊びたい気持ちと曲を作らなきゃっていう気持ちとの闘いでしたね
――じゃあ今作は結構キツいなかで仕上がったんですね。
佐藤 いやもう、苦し紛れの1枚ですね(笑)。1stフルアルバムにして、最大の苦しみの1枚。絞り出した作品です。
――難産だからこそ愛せるという面もありますからね!(笑)。でも今作は全10曲中7曲が新曲ということで、かなり攻めていますよね。アルバムのコンセプトや構想はあったんですか?
佐藤 もともと楽曲の骨組みやストック的なものはまったくなくて。で、ツアー前にフルアルバムを作りましょうってなった時も、「まぁなんとかなるでしょ」って思ってました。
田中 「大丈夫なの?」ってずっと思ってました(笑)。
佐藤 『零になって』というタイトルも、ツアーが終わっていったんゼロにしてみようかなと思って付けました。